(4)茶吉尼天蔓茶羅(室町時代)絹本着色一幅縦76.2cm横37.4cm(徳島童学(5) これと図像学的に比較すべきものに,後で述べる能満院蔵の『天川弁才天蔓茶羅J利天,⑤水天(竜にのる),⑥風天,⑦毘沙門天,(E伊舎那天,①党天,⑩地天,⑪日天,⑫月天と配して八方天および党地日月の十二天が守っている。寺),室町時代にさかんになった稲荷信仰との深いつながりをもって結びついた蔓茶羅で,他に例をみない。中央に白狐にまたがった三弁宝珠の女神を描く。その像はまるで遠方からものすごいスピードで迫り画面の前方にとび出すかのごとくである。周囲はすべて白狐にまたがって不思議な闇夜を右へ左へ飛び交う男女神が十四体描かれる。中尊に負けず,それぞれ一定のスピードを保っている。そして空間を踊りあかすがごとく,その舞踏の向きは一種の記号で意味をもっ。中央の「天jは右から左へ,中央の三弁宝珠に近い「地」は左から右への向きをもっ。茶吉尼およびその春属が空中を飛ぶことは,r三十三法尊』にもみえ,茶吉尼天は空行母と呼ばれている。いずれにしても,稲荷神と密教における茶吉尼天の習合を展開した蔓茶羅である。がある。この「天川蔓茶羅jは,南北朝期から南都において別尊の神仏習合の量茶羅化とは,やや異なった流布の中で生じた個有の作例である。高野山・親王院蔵『天川弁才天憂茶羅.J(絹本着色・縦l02.0cm,横39.7cm,室町時代)は,中央に立像で,たてに突起した三頭蛇が配置されている。両眼を見聞き,十管の弁才天と称する画像で,同じ時期に流布した,いわゆる『弁才天十五童子』や『伏見稲荷蔓茶羅』とは異なる。さらにこれらの二本の系統とはやや異なるが,r茶棋尼天是茶羅』も比較して,中尊が正面像であるという点では類似するが,そのモチーフは基本的にそのいずれとも違う。『天川弁才天蔓茶羅』の図像をもう少し詳しくみることにしよう。その中尊である寄妙な三頭蛇は,真赤な口を開けた弁才天だという。その異形の図像学的根拠は必ずしも明確にされていない。三頭蛇は頭蛇人身像(立像)で脇には左右に飛期する天女が小盆に白色の仏飯をのせて,それを両手でささげるように持っている。天女は空中に舞う飛天の姿勢に似ている。おそらく弁才天を讃仰しているのであろう。白色の顔相も目を細めてにこやかに笑っているようだ。また足下をみると弁才天の両足(白色)を天女が坐して各々両手で支えている。これらも笑みをうかべている。ただ天女(左右)の聞には大きい三弁才宝珠が蓮台にのり火焔で覆う。弁才天にもどるが,三頭蛇の頭上には,さらに左右の頭蛇があり,同じ形式の三弁宝珠を頭頂にのせている。-49-
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