鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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1906, 7年ころの制作になるもので,1910年ころ以後のものは画商ヴォラールが仰)福島繁太郎「私のコレクションについてJ(rみづゑ.11955年4月増刊8頁)仰)福島繁太郎「私のコレクションについてJ(rみづゑ.11955年4月増刊3頁)似)福島繁太郎「回想の作品J(r塞術新潮.11955年5月号199頁)腕)青山義雄との交友が始まるのは,翌々年の1928年からで,その年の1月から4月ほどの親密な交流はなかったようである。(14)福島繁太郎「ルオー展に際してJ(rルオー展jパンフレット1953年)(15)福島繁太郎「作品解説J(r心.11950年9月号)。宮田重雄は彼の随筆で18000フランと書いている(宮田「コレクシヨン,フクシマ雑記Jr美術.11934年2月号7頁)。この作品は,のちルオー自身が手を入れてダメになる。個展出品作はすべて全部買い占め,しまいこんでいたことを福島は後日知ることになる。同福島繁太郎『フランス画家の印象.1(求龍堂1950年)22頁以下ほか。同ジル=マルシェクスとの交友はすでにその前年の1924年からはじまっている。親日家だ、った彼は,福島夫妻がパリで交わったなかで特に親しい芸術家だ、ったようであり,二人の交友は,家族同士の交際に発展した。のち夫妻をデュフイのスタジオ,モーリス・ラヴェルの家などに連れて行ったり,またシャガールを福島の家に連れて来たりしたのも彼であり,ピアニストのコルトー『自由を我らに与えよ.1r美女と野獣』などの映画音楽を担当した作曲家ジョルジ、ユ・オリック,新進作曲家ドラージ,作家,ジョルジユ・ミッシェルなどの芸術家を知ったのも彼を通してだ、ったようだ(福島慶子『巴里の塞術家たち』創塞社1950年55-56頁)。同福島繁太郎「作品解説J(r心.11934年9月号)同福島繁太郎「私のコレクションについてJ(rみづゑ.11955年4月増刊3頁),I回想、の作品J(r塞術新潮.11955年5月号197頁,204頁)側福島繁太郎『フランス画家の印象.1(求龍堂1950年)48頁ほか。凶福島繁太郎「回想の作品JU塞術新潮.11955年5月号202頁)伺福島繁太郎「回想、の作品J(r塞術新潮.11955年5月号200頁),I私のコレクションについてJ(rみづゑ.11955年4月増刊7頁)。高畠達四郎は,購入はしたもののまだベルネーム・ジュヌ画廊においてあったこの絵を見に福島の誘いで画廊に同道したことを書いている(高畠「福島コレクシヨンと僕の不明Jrアトリエ.11934年2月号37頁以下)。581

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