① 視覚資料から見た,近代「日本人」の身体像の形成2. 1999年度助成研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士課程北原序トゥルト・ジヤボネ,1990夏真夏のある日,私は商庖街で異様なケーキを見つけた〔図1J。三角帽子を被った吊り目の黄色い顔が,ケーキの中央からこちらに笑いかけている。ケーキにつけられた名前は,“TourtesJaponais"。一一これが日本?日本人?私はまた驚く。1990年夏,ジュネーヴの駅近くの庖で売られていたケーキが表象していた日本のイメージである。このケーキは売れ筋らしくて3種のサイズが揃えてあり,私は一香小さなものを選んで帰宅した。兄の家で4歳と8歳の甥たちにケーキを見せ,1何人か」と聞くと,彼らはすぐさま「中国人」と返事を返す。日本に生まれてジュネーヴで暮らす小さな日本人にすでに刷り込まれている「中国人」像。何重にも入り組んだ「アジア人」像の政治学に複雑な思いを感じながら,私たちは中身は何の変哲もないチョコレートケーキをむさぼった。この体験が,私が「吊り目Jという他者像としてのアジア/日本イメージに興味を持ち始めたきっかけだ、った。「吊り目」は,I日本/アジア人]の指標である。19世紀から20世紀にかけて形成された吊り目のステロタイプは,今日も大衆文化において最も根強くくり返される,アジア人像のステロタイプな身体的特徴となっている。あるときは,内心何を考えているのか分からない商人として,あるときは残虐で無慈悲な軍人として,またエキゾチックな受身のバタフライとして,1吊り日」は一見互いに矛盾する人物像を象徴させられてきた。だが,そのアジアの人物像が不快の対象であろうと,快楽の対象であろうとも,いずれにせよ共通するのは,両者の完全な出会いの不可能性,まなざしの交差の不可能性である。「東洋」に「見返されるjことへの「西洋」の恐怖が生み出した身体表象と言えるだろう。本稿では,この「吊り日」の表象分析を様々な角度から試みたい。まず,現代アートのなかで在米の日系/アジア系アーテイストたちが,どのような表現を試みているのかを探り,次に19世紀後半からどのように[吊り目Jのステロタイプが形成されてきたかを,さまざまなメディアにおける表象を点描することによって考察する。そし608 「吊り目」の表象一一恵
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