ているのである。日本人の顔には,I土色と黄色が混ざるJIそれほど内眼角賛皮(蒙古ひだ)はきっくないJIひらべったい鼻JI広くて短い顔Jなどの注解が加えられ,一方,中国人の顔には,1羊皮紙色と黄色が混ざるJI内眼角賛皮がきついJI高い鼻柱」「細長くて狭い顔Jなどの注解が対照的に付けられている。日の違いは,日本人が「ギラギラした目」であるのに対して,中国人は「キラキラした目jとなっている。これらのイメージと注解は,ベン・サコグチが創造したものではない。彼は,実際に第二次世界大戦中にアメリカ合衆国で流通していた1941年の『ライフ』誌の記事からおそらく引用し,帽子を描き加えて加工することによって,日本人の軍人性と中国人の前近代性を強調してキャンパスの上で再現したと思われる。このような中国人と日本人を顔で見分けることが可能だとする記事は,当時,多く流通していたようである。ライフの記事のほかにも,rタイムJでは,Iあなたの友達(中国人)とジャップをどう見分けるか」を掲載し,中国人は「おだやかで親切そうで,開放的」であるのに対して,日本人は「攻撃的で,独断的で尊大」などと特徴づけ,善玉/悪玉の役割分担を身体表象によって視覚化した〔図4)。吊り目に関しては,同記事は,1日本人も中国人も上まぶたが典型的な蒙古ひだだが(これが彼らのアーモンド形のつり上がった目の特徴になっている),一般的に日本人のほうが日と目が近寄っているJ(注3)などと述べ,あくまで民族によってちがいが生じ識別できることにこだわっていることが分かる。その態度には,1吊り日」をもった人種として中国人と日本人を一括してカテゴライズすることによって,自分たち白人とは全く異なった人種であることを強調して両者を他者化しつつも,黄色人種間の差異を白人自身が定義することによって,それらの差異が苧む力を懐柔し手懐けようという欲望を見て取ることができるだろう。る。それゆえに,特に在米アジア系の人々にとっては,批判の対象であると同時に,彼らのコミュニテイの統一の言葉となることがある。たとえば,カリフォルニアのパークレーで出版されるミニコミは,誌名にrslandと名づけられているが,創刊号で彼らは,自分たちのなかに多様な違いを抱える「アジア系」の人々を自らISLANTJと呼んで名づけ直すことによって,アジア系アメリカ人のアイデンテイテイを創造していくのだと宣言している(注4)。I slantJという英語には,11歪曲する,2傾斜・吊り上がる,3東洋人Jの意味があ610
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