鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(1 )大衆文化に広がる「吊り目」のイメージ8)。東田は「日本人が黒人として表象された理由」について,16世紀後半に来日したは両手をズボンのポケットにつっこみ,中国人とも日本人とも区別のつかない服装をしているが,顔は黒くて唇は分厚く,明らかに黒人として描かれているのが分かる〔図イエズス会のフランシスコ・カブラルが「結局のところ,日本人はニグロである」と述べた言説などを引用しながらも,結局は「よくわからない」と述べている。西洋世界に門戸を開いていく初期,黒人化されていた日本人像は,1870年代には「吊り目」の警官の身体に変化している〔図9)。その後,これらの紙面に現れた日本人像は,ジャポニスムを背景として急速に定型化するが,日清戦争を契機に強烈なインパクトを伴って登場した武者イメージと,これまでのキモノ姿の娘イメージが共存することになった。3 浸透しフェティッシュ化される「吊り目」の身体で続くプロトタイプは,やはりプッチーニの「蝶々夫人jであろう。1904年にミラノのスカラ座で初演された時の舞台を,プッチーニ自身が事細かに指示したイラストが現存している(注6)。登場人物の衣装から,舞台装置,道具類に至るまで丁寧にイタリア語で指示されたこれらのイラストの人物像を見ると,日本人とアメリカ人について,プッチーニや舞台デザイナーが思い描く身体像の差異を知ることができる。57枚のイラストのうち3枚存在する蝶々夫人の顔は,すべて吊り目に描かれており,他の日本人の大半も吊り目である〔図10)。これに対して,ピンカートンやシャープレス,ケートなどの白人のアメリカ人は,吊り目を持たず,目が,2種の人種を区別する決定的な指標として使われていることがイラストから分かる。蝶々夫人を実際に演じた歌手の目がどのような形であったにせよ,彼らの抱く蝶々夫人像は,明白に吊り目だったのである。芸術から大衆文化,大人の文化から子どものオモチャにいたるまで,行き渡っていたようである。“Tourt回Japonais"のケーキを発見してから2年後,1992年夏,私はアメリカ合衆国のケンブリッジで2枚の絵葉書を見つけた。棚の一番上で仲良く並ぶその2枚のポストカードは,それぞれ西洋と東洋の人形を写した写真だった〔図11)。絵葉19世紀末に形成されてきたキモノ姿の娘・芸者イメージの,全世界に広がり今日ま20世紀初頭にすでに「吊り目」として視覚化されていたアジア人の身体像は,高級-612-

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