鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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書の説明によれば,西洋人の顔をした人形は,1890年代にアンリ・アレクサンドルによってパリで制作された「ベベ・フェニックス・ドール」であり,東洋人の方は,1920 年代にエレーナ・スキャヴィーニによってイタリアで制作された「レンチ・オリエンタル・ドールJだという。ウェーヴのかかったロングヘアーの西洋人の人形は,白いレース襟のついた赤いヴェルヴェットのドレスを着せられ,一方,黒髪でオカッパ頭の「オリエンタル」は,吊り上がった目をして,扇の向こうからこちらに顔を向けている。対照的な西洋と東洋の可愛い女の子一一,と私は思った。だが数日後,東洋の人形に付けられたタイトルを見直して驚いた。“F姐Man"。東洋の可愛い女の人形と思っていたそれは,実は扇を持った「男jだ、ったのである。この絵葉書に載せられていたレンチ・ドールの「扇の男j一一女性化されたアジアの身体一ーとは,一体何者か?その後,レンチ・ドールの歴史を調べてみると,1扇の男」は,1925~ 6年のカタログに掲載された一連のオリエンタル・ドールの一体1#188 Dschang-GoJであることが分かった(注7)。1920年代に始まったレンチ・ドールは,IDschang-GoJが制作された20~30年代にかけて人気の絶頂期を迎えた。創立当初から様々な民族を人形にした「エスニック・ドール」は,制作されており,特に初期には重要な位置を占めていたようである。1920年のライブチヒ・フェアーでは,レンチはインデイアンと黒人の人形を出品し,1922 年の同社の広告には,イタリアの農家の娘と,アヘンを吸う辞髪姿の中国人男性が商標として描かれている。1925年から30年にかけてのカタログには,先のIDschang-GoJのほか,アヘンを吸う中国の少女IHuSunJ,三角帽子を被り下駄を履いた人形1A Li Ti孟GuaU,キモノを着た日本の女の子1Butterfly Jなど,1オリエンタルな身体」をもった人形を数多く見出すことができる〔図12J。つまり,この時期のレンチ・ドールは,アジア人男性の身体を,吊り目でアヘンを吸う男性化された僻髪姿か,吊り目でオカッパの女性化された「扇の男」に2種の身体で表象していたと言えるだろう。人形は,単に子どものオモチャやファッションの伝達者であるだけでなく,ステロタイプな民族・人種像をより身近な存在として,人々の心に植え込む。「可愛いモノ」としてフェティッシュ化された人形たちは,オペラや絵画における定型化された民族像が果たすのとはまた異なった役割を担って,大衆文化を形成していると言えよう。1920年代半ばにイタリアで制作されたレンチの1Dschang -Go Jが,60年以上を経て,アメリカ合衆国で絵葉書に「扇の男」として印刷され,小物屋に並び,人々が20世紀

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