鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(2) 映像の操作と「吊り目jイメージの創造末に使用しているということ。このように「吊り目jは,たえず再生産され続けてきたと言える。レンチのオリエンタル人形が人気を博した時期から少し遅れて1930年代,ハリウッド映画は,東洋人の流行を迎える。村上由見子の研究によれば,1930年代のハリウッドでは,多くの名優がメーキャップを施して東洋人に扮していたらしい。『天晴れウォング.1(1932年)ではロレツタ・ヤングが中国人を演じ,rマルコ・ボーロの冒険.1(1938 年)では,ゲーリー・クーパーがマルコ・ボーロを演じて「白人総出演によるハリウッド一大オリエンタル・ファンタジーを展開」した(注8)。映画のキャスティングに関して興味深いのは,白人に「東洋人」を演じさせたこと(のちの第二次世界大戦中には,善玉のアジア人=中国人を白人が,悪玉のアジア人二日本人を中国人が演じた),そして,その方が東洋人を使うよりも「東洋人jらしく彼らには見えたことである。そのためのメーキャップは,1吊り目」の創出にかかっていた。「目の端にテーフ。を貼って耳の方へ引っ張るj方法や,iまぶたにのっペりとした人工皮膚を付け,さらに彼のまつげを三分のーの短さにカット」する方法など,ハリウッドの映画人たちは,様々な「吊り目jを考案した。『ドラゴン・シード.1(1944年)で主人公の中国人ジェイドを演じたキャサリーン・ヘプバーンの吊り目もひとつの典型であろう〔図13)。だが,映画や映像での「吊り目Jに対する執着は,1930年代のハリウッド映画で終わったわけではない。ハリウッド映画も含めて,アメリカ合衆国のメディアにおけるアジア系の人々に対するステロタイプな表象を歴史的に検証し批判した仕事に,ドキュメンタリー・ビデオrSlayingthe Dragon.l (1988年)が挙げられる(注9)。このドキュメンタリーのなかでも,放送局のアナウンサー試験を受けた女優キム・ミヨリが,「コニー・チャンのような目の化粧をしろ」と言われ,放送局が依然として[吊り目jの女性を求めていることが分かつた,と証言している。ニュースで活躍するためにアジア系の女性は,その能力以上にコニー・チャンのようなミステリアスな目が求められたというわけである。最近では,デイズ、ニー映画が中国の歴史上の女傑として知られる「ムーランJ(1998 年)を取り上げたが,この映画に登場するどの人物もほお骨が高く,目が吊り上がっていたことも特徴的だ、った(注10)。アニメーションやイラストであれば,人物の顔は-614-

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