鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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hu‘Y ellow' : Asians and th巴AmericanMirror", The Decade Show: Frameworks of 《〉王えられる。あるいは,1扇の男」のようなどこを見ているのかわからない「吊り目」は,「視線の去勢」であるとも言えるだろう。どこを見ているのかわからない「目Jは,その目を見る者に様々な勝手な想像を許し,恐怖も優越感も同時に与えることができる。ロラン・バルトが自著のなかでこだわったように「目の違い」は,西洋人と日本人との顔かたちの違いにとどまらず,精神構造や文化構造の違いの原因にまで敷桁されることなる(注11)。「吊り目」の表象をひとつの起源にのみ原因を求めるのではなく,1吊り目」を描く文化の様々な層を丹念に掘り返すことによって,その機能や役割をひとつひとつ丁寧に見ることが必要であろう。本稿では問題点を提出するのみになったが,続けて本テーマを考察していきたい。Identiηin the 1980' s, (exh. cat.) Museum of Contemporary Hispanic Art, & The poraηAsian Art, (exh. cat.) Asian Society Galleries, 1994; Margo Machida,“(re) Mixed Blessings : New Art in αMulticultural Americα, Pantheon Book : New York, また,アジア系の人々の聞で流行する二重まぶたの美容整形や,目の表象の持つ意味を分析した映画や研究もある。映画として,Eyelid Surgery, (dir.) Tran Age,恥1.1.T. Press, 1998. 詳しく話を聞くことができた。次の文献を参照。拙論「ヨンスン・ミン一一〈エキゾチックなアジア〉像の解体へJ北原恵『アート・アクテイヴイズムJインパクト出版会,1999年,68~78頁;拙論1<私〉の決定的瞬間一一ヨンスン・ミンj(1) 在米アジア系アーテイストについては次の文献を参照。MargoMachida,“S閃ingStudio Museum in Harlem, N巴wYork, 1990; Asia/ America : Identities in Contem-Orienting", Horbour, vol. 1, no. 3, Aug. /Sept. /Oct. 1991; Lucy Lippard, 1990. T.阻m-Trung,1993; Two Lies, (dir.) Pam Tom, 1989。論文として,Kathleen Zane,“Reflections on Yellow Eye : Asian 1 (‘Eye') Cons and Cosmetic Surge1)ぺin (ed.) Ella Shohat, T,αlking Visions: Multicultural Feminism in a Transnational (2) ヨンスン・ミンの作品については,2000年2月にロサンゼルスのミンの自宅で,

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