展」の言葉が含まれているが,厳密にいうとこの展覧会は屋内展示と野外展示による展覧会ということになる。屋内会場のファウスト文化センターはユニークな組織で,今はもう使用されなくなった工場の建物を,若手の現代美術作家のアトリエとして貸出し,専属のキュレーターを配置し(実際には彼は美術作家としても活発に活動しているが),小規模だが時々自主企画の現代美術展を開催している(ただし展示室は狭く約300m2ほど)。展覧会だけでなく,ハノーパーに住んで、いる外国人,特に第三世界出身のマイノリティーたちのための集会所としても活用されたり,あるいは幼稚園も併設されている。また,このファウストに隣接してピアガーデンや小さな日4局が開設され,日曜日にはフリーマーケットが聞かれて,芸術家と若者たちと地域住民たちの交流の場となっている。ただ,財政的には余裕がないようで,工場の改装が十分完了しているわけで、はなかった。ハノーパー市としては,事業主が撤退し廃嘘となった工場とその一帯を芸術と市民の交流の場として再生させるため,つまり芸術振興と街作りのための施設としてファウスト文化センターを支援しているが,完全に市立というわけではないので十分な財政支援は難しいようである。このことはこの展覧会への作家の経済的な負担というかたちで、跳ね返ってくるが,このことは後述する。この会場には,10人の作品が展示された。平面作品がl点,立体作品が2点,コンセプチュアルなイ乍品が3点,インスタレーションカ'2点,映像;をf吏ったイ乍品カ'2点である。しかし,この分類は大まかな分類であり,必ずしも作品の性格をトータルに表していない。各作品にはインスタレーションの要素や,コンセプチュアルな要素が混入していることも多い。例えば,ブルース・アランの平面作品も,作家本人にいわせるとコンセプチュアルな要素を多分に含んでいる。イギリスの廃坑になった古い鉄鉱山で採取した鉄鉱石の赤い粉末を顔料にして,それを展示室の白い壁面に直に手の平を使って一面に塗り込める。一見すると赤一色の単純な色面としか見えないが,近づくと微妙なテクスチャーの変化に気がつく。イギリスとドイツとの精神的な隔たりや距離感,過ぎ去った過去と現在の避遁,生身の人の手の平を媒介として描くという行為の作為性と非作為性。このようなコンセプチュアルな要素をこの作品に感じ取ることができる。また,この平面作品の支持体としてファウストの展示室の壁という建築構造物を利用している点では,そこにインスタレーションの要素を認めることもでき624-
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