鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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ようにこの作品の中に積み重なっていく。作品の中に積み重なっていくそれぞれの感情やメッセージはもちろん作家自身の直接的な感情やメッセージではない。そこにあるのは中国新聞社という一つの報道機関や作家本人も知らない個々の多くの市民たちのメッセージということになる。しかし,他者の意見や感情との共存を許し,そのことによって,より大きな意味と強靭さを備えることになるこの作品のあり方は,作家個人のオリジナリティーとその不可侵を絶対とする近代以降の美術のあり方に対して,あるいはそこから逃れようと迷走しているかのように見える現代美術の状況に対して一つの回答を提示している。第三の会場のハノーパー市森林公園には,8人の作家が出品した。オーソドックスな具象の石彫もあったが,ハノーパー市の中心部にマイクを設置し,その雑踏の音をこの森林公園の大きな木の上からスビーカーで流すというようなコンセプチュアルな作品や,ファウストと市の中心部の繁華街でパフォーマンスを行ったベルベル・カスペレクの,木の上に鞄と枕を置いてその回りでパフォーマンスを繰り広げるという作品などが展示された。このパフォーマンスでは,最後はオープニングに出席した出品作家全員が参加し,自分たちの顔写真を貼付けた大きなサイコロを手に持って記念写真に収まることとなったが,なごやかな雰囲気をかもしだしていた。このあとすぐ歩いて5分のピアガーデンで,ハノーパー市文化局のアレンジしたアマチュアのジャズコンサートが参加者を迎え入れた。そしてこの日のオープニングは無事終了した。さて,私はこの展覧会IBaLANCE2000Jの作品の制作とオープニングに立ち会って,多くの出品作家たちゃ主催者たちの声を聞いてきた。まずは作家側の声や置かれた状況をまとめてみると,①宿泊費と食費(作家によって異なるが,制作のための滞在日数はl人あたり1週間から10日程度)は主催者が負担したが,往復渡航費は作家の負担であった。佳作品の制作費は2,500マルクのみ支給された。③経済的には全く十分とは言えなかったが,いろいろな国の作家と交流したり,海外での制作活動は刺激的であった。というところであろう。もちろん①②は事前に作家たちに条件として提示されていた。主催者側のハノーパー市文化局の担当者の声としては,①今回の展覧会の出品作品は充実した内容を持っていて,選考過程においてもほとんどトラブルなく順調に進んだ,②姉妹都市同士のフレンドシップを確認できてよかった,ということなどである。627

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