鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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は20世紀美術を専門にし,市が運営管理するシュプレンゲル美術館がある。今回,こ私には,スムーズなオーガナイズと運営,そして親善という目的の達成ができたことを素直に喜んでいるようにみえた。ただ,この展覧会の財政的な規模はあまり大きくなく,むしろ作家たちの負担で安価に実施されたという側面を持つ。事実,ハノーパー在住のある美術大学教授の指摘では,行政が作家の弱みにつけ込んで,少ない予算で、見栄えのするイベントを実施した,ということになる。確かにこの指摘には耳を貸すべきであろう。しかし,そのような欠点はあるにせよ,出品した作家たちは自分たちができる経済的な負担において出品し,最終的にはこの展覧会を積極的に受け入れていたように見える。それは彼らが一様に若く,アーテイスト・イン・レジデンスの要素と国際シンポジウム(作家がーか所に集まり,一緒になって一つの展覧会を作り上げるという意味の)要素を体験することがスリリングであったからだと思う。この体験は彼らの作家活動のキャリアの中でも貴重な体験になるというべきであろう。そして作品のクオリティーに多少のばらつきがあったにせよ,ハノーパー市が意図した,姉妹都市から集まってきた作家たちによる文化交流と親善という目的も達成できたといってよいと思う。そして,私はこの展覧会のもう一つの意味を指摘しなければならない。それはこの小論の目的でもあるが,この展覧会が,美術館という美術制度の枠組みを逸脱しながらも,しっかりと美術の枠組みを構築しようとしていることである。ハノーパー市にの展覧会の主催者の一人ハノーパー市文化局の担当者に,この展覧会を準備し,開催するに際して,なんらかの協力をシュプレンゲル美術館に求めたかどうか聞いてみた。答えは否である。そしてその理由を尋ねると,r彼らはあまりにハイレベルだから。」という。もちろん,この「ハイレベルjには二重の意味がある。一つは,シュプレンゲル美術館は自らが評価した,あるいは国際的に評価された作家の展覧会にしか興味がないということ。もう一つは,そのような作家や美術はハノーパー市が求める美術の枠組みとはほとんど関係がない,ということである。いかに質的にハイレベルでも(いや実はそれ自体疑問だというニュアンスも含まれているが),現にハノーパー市が万国博覧会を契機に,姉妹都市の芸術家と文化の交流をベースとして,都市の問題を現代においてどのように捉えるかという問題意識に対して,それ(美術館)は必ずしも有効ではないということである。少なくともハノーパー市文化局の担当者にとって,628-

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