書5枚を組み合わせて描いている(注14)。これもまた,1929年以降の作品に用いられ古賀春江のフォトモンタージ、ュを応用した作品の中で,本来異なる空間に存在するべきものを,既存のイメージを応用しながら一つの画面に意図的に構成していく手法で描かれているのは,モダン・ガール,飛行船,潜水艦,工場などを象徴的に配した〈海},裸婦が入れられている鳥寵と螺旋階段,植物や白鳥,機械の部品の様なもの等を構成した〈烏龍}(1929年,油彩・画布/石橋財団石橋美術館蔵)[図7),そびえ立つビルデイングの上で軽快に足を挙げるモダン・ガールと落下傘,鉄塔,顔のない人物などが,青い空と海を背景に描かれている〈窓外の化粧}(1930年,油彩・画布/神奈川県立近代美術館蔵)[図8),日本髪を結った着物の女性を中心に,バレーボールをする人,川が流れる都市の{府服図,外国人女性の顔,鳥龍の鳥と自由に空を飛ぶ鳥,蝶がとまっている植物等を組み合わせた〈女のまはり}(1930年,油彩/形状・所在不明)[図9)が挙げられる。これらの作品において,画面上に表れているのは,概ね近代文明の象徴であったり,ある意味警告として提示されたものであったり,画家の目は社会へ向けられているといえる。同様に既存のイメージを応用したものには,パウハウス風の建築物と顔のない裸婦,海草のような植物などを組み合わせた〈優美なる遠景}(1930年,水彩/形状・所在不明)[図10),ドイツの医師プリンツホルン著の『精神病者の絵画j(1922年)に掲載されている〈不思議な牧人〉の模写と動物細胞の解説図を組み合わせて構成したと思われる〈涯しなき逃避)(1930年,油彩・画布/石橋財団ブリヂストン美術館蔵)[図11) ,深海を思わせる背景に植物の断面図や魚などを配し,切り取られた窓から何かの機械のボタンを押そうとする女性の横顔が覗いている〈単純な哀話}(1930年,油彩・画布/石橋財団石橋美術館蔵)[図12)等が該当するが,これらの作品は前述の作品と同時期に描かれているものの,近代社会の象徴性や社会へ対する警告のようなものはあまり感じられない。そしてその後,1932年に突如として東洋的な画題を描いた〈孔雀}(油彩・画布/福岡大学蔵)[図13)が現れ,1933年に油彩画としては最後の作品となった〈サーカスの景}(油彩・画布/神奈川県立近代美術館蔵)[図14)を描いている。この〈サーカスの景〉は,当時来日していたドイツのハーゲンベツクサーカス団の動物サーカスの絵葉た,既存のイメージの構成による制作方法をとっているといえるだろう。これらの作品に共通していえるのは,いずれも既存のイメージを組み合わせること
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