鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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4.柳瀬正夢のグラフイズムによって一つの画面を作りあげていることであり,そのイメージの源泉は,速見豊氏らの研究によって明らかにされつつあるが,印刷物によって氾濫した複数のイメージを,油絵具で筆跡を残さず写し取ったこれらの作品は,まさに「ポスター風絵画jといえるもので,それは結果として非常に斬新なものとなり,発表当時から人々の注目を集めた。しかしながら,古賀の「ポスター風絵画Jは,大衆に何らかのメッセージを同時に伝達することを目的とする本来のポスターのように,印刷物として大量生産する必要はなく,あくまでも油彩画の一つの作品として,制作されたものであった。すなわち,古賀にとってイメージの源泉となった雑誌のグラビアや,平面的で、画一的なポスター風の描法は,それ以前に摂取してきた未来派やキュピスムやクレーの作風などと同一線上にあるもので,絵画にある種の社会との結び付きを求めたというよりも,様々な様式を器用に作品に取り込んでいった古賀の選択肢の一つであったのではないだろうか。そしてその手法は,若干の変化を伴いながらも,絶筆となった〈サーカスの景〉にまで及んだのである。1910~20年代のヨーロッパにおけるグラフイツク・デザインは,新興芸術家たちによって急速な改革,前進を遂げた。彼らが広告というよりもいわば同志に向けて制作した小雑誌,チラシ,ポスター等は,印刷物における既存の常識や形式を打ち破る斬新なものであった。これらは一般に難解なものであったが,多くの新興芸術家たちをキャンヴァスから解放し,次々と新しい手法を展開させることとなった。イタリア未来派は,1909年マリネッテイらを中心に活動を開始した。科学技術の発達に伴い形成されていった近代社会,とりわけ機械を賛美し,その速度や運動を時間と共に形象化していった。そして印刷技術をその造形活動に取り入れ,芸術の枠組みを拡大すると同時に,それを国際的に発信していったのである。未来派を見習った形で,1916年にチューリッヒで誕生したのがダダである。これはその後パリとベルリンが中心となったが,既成概念と権威を叩き壊すことによって現状を打破することを命題として,マスメディアを利用しながらさらに過激な活動を行った。このような西洋の動向により直接的に反応し,自らの作品に反映させていったのが柳瀬正夢らが中心となった大正期新興美術運動である。636-

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