第2に,白査および三彩陶の竜耳瓶を細かく観察すると,器形および装飾においてl.問題の所在竜耳瓶は,惰から唐中期におよぶおよそ150年間にわたって,自室および三彩陶器として,華北の地でつくられた。その華麗にして,壮観な形姿は,この時期の中国陶姿器を代表するものであるとともに,この間の陶言語器の変遷過程をさぐる上で標識的な器種である。惰唐期において,盤口形に口作りする器種は,盤口査(唾壷),徳利型の盤口瓶,鶏首壷(天鶏壷),竜耳瓶,四耳査があり,自室・青査・三彩にみられる。その中で竜耳瓶は,把手の先端につけられた2ないし3匹の竜頭が,舌をのばして盤口内の液体を飲む形につくられた瓶である。竜耳瓶を理解することは,つぎの2つの問題に集約できる。第lは,この特異な形状をもっ器形が,いかなる道筋をとおって,いつごろ生まれてきたのであろうか。一つの仮説として提示できるのは,竜耳瓶は,西晋期から越州窯青空として作られてきた鶏首壷に祖形をもち,双把双身瓶をへて,7世紀前半に出現した器形である。この仮説を検証することを手がかりにしたい。様々のバラエティがみられる。これらを作品の優劣ではなく,この器形の誕生から衰微の過程を時間軸で追跡して,形式分類することによって,年代的位置づけが可能ではなかろうか。この2方向から竜耳瓶について考察をくわえたい。2.鶏首壷の構成要素まず第lの課題に関連した鶏首査から論を出発させたい。南北朝期の青姿鶏首壷は,すでに長胴形を呈しており,次第に胴部最大径を肩から中位に移し,卵形胴に変化し,器高を増し,頚部に2本の弦文が現われておりこうした傾向は陪代へと連続している。通常,肩には角形の横耳が付けられ,竜柄は肩から盤口の一端をはむ形につくることは以後も変化しないが竜柄の背面は無文でありのちの竜耳瓶にみるような数個の珠(鋲)文を貼付することや,竹管や刻線文で竜柄に施文する例はまだ出現していない。頚部には2-3条の凸弦紋をめぐらす例とこれを欠くものもある。陪代になると,白姿の鶏首壷の初源に位置付けられるのは,大業4年(608)の李静訓墓品である。小型で,頚部は痩せ細るかのように非常に細く,2条の明瞭な弦紋を-55-
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