化の交渉の様相に関して非常に多くの問題を提起する。本稿では先学の研究に多くを負いつつ,それらに対する筆者の解釈を粗描風に示すこととしたい。紙面の都合上個々の作例のデータは先行研究に,また詳しい考察は別稿に譲り,問題点の整理と仮説・展望の提出にとどめることを予めお断りする。1 .十二支縁起と法身舎利まず確認しておかねばならないのは石塔上の「十二支縁起jの経文がほかならぬ「法身舎利jとして刻まれていると考えられる点である。この事実はインド・ガンダーラにおける類似の事例を扱った研究の中で付加的に言及されることはあるものの,中国仏教史および中国仏教美術の研究者の間では十分に認知されておらず,特に中国国内における研究ではこの視点がなぜか完全に欠落している。北涼石塔には『増壱阿含経』の,以下の経文に大部分が一致する文章が刻まれる。ただし石塔の文章では下線部の文言が「更楽縁愛。愛縁痛。痛縁受。受縁有。有縁生,生縁死。JI更楽尽愛尽。愛尽痛尽。痛尽受尽。受尽有尽。有尽生尽。生尽死尽。jとなっている。この相違に関して,石塔の経文が上掲の僧伽提婆訳『増壱阿含経』でなく,r出三蔵記集』に序がのこるものの本文は現存しない曇摩難提訳本(正確にいえば曇摩難提請出,竺仏念訳。畝部1970)に基づく可能性があること,また刻経に「仏説十二因縁経jとタイトルを付す作例の存在から,この短い経文が単経として流布した可能性が高いことが指摘されている(朱1985,段1996aなど)。なお敦A崖研究院の蔵「開如是。一時仏在舎衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告諸比正。如来成就十力。自知為無著。在大衆中能師子肌。転於無上焚輪而度衆生。所謂此色。此色習。此色尽。此色出要。観此痛想、行識。識習識尽識出要。因是有是。此生則生。無明縁行。行縁識。識縁名色。名色縁六入。六入縁更楽。更楽縁痛。痛縁愛。愛縁受。受縁有。有縁死。死縁愁憂苦悩。不可称、計。因比五陰之身。有此習法。此滅則滅。此無則無。無明尽行尽。行尽識尽。識尽名色尽。名色尽六入尽。六入尽更楽尽。更楽尽痛尽。痛尽愛尽。愛尽受尽。受尽有尽。有尽死尽。死尽愁憂苦悩皆悉除尽。比丘当知。我法甚為広大無崖之底。断諸狐疑安穏処正法。若善男子善女人勤用心不令有鉄。正使身体枯壊。終不捨精進之行繋意不忌。修行苦法甚為不易。楽閑居之処静寂思惟。莫捨頭陀之行。如今如来現在善修党行。是故比正。若自観察時。思惟微妙之法。又当察二義無放逸行。使成果実至甘露滅尽之処。若当受他供養衣被飲食床臥具病痩医薬不唐其労。亦使父母得其果報。承事諸仏礼敬供養。如是比丘当知是学。爾時諸比丘開仏所説。歓喜奉行。J(大正2・776a-b)645
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