鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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1998,マスペロ1978)。父母君王報思J(田弘造塔),I願以此福成無上道J(程段児造塔),I願此福報,使国主兄弟善心純熟典昨,三宝現在,師僧証菩提果,七世父母兄弟宗親,捨身受身,値遇弥勤,心門意解,獲其果願J(白双豆造塔)などの言葉は,塔の造立・奉献という行為の生む功徳を廻向して,種々の願望一特に祖先や今この世にいる願主自身及び有縁の者たちの救済ーが成就することを祈るという基本線においては共通している。詳しい分析は省くが,その体裁と内容はインド・ガンダーラの造像・造塔記にみえる廻向文に基礎をおく一方,中国の伝統的な信仰に照らしても十分通用するような願目も掲げられ,紋切型の表現のうちに,東西の文化が交錯する涼州周辺の仏教徒における幸福の表象が集約されていることが推察される。その点で興味を引くのが,石塔の構成が道教の斎の実践に際して造られる,壇を中心とした儀礼空間の構成と部分的ながらも一致する点である。六朝道教の儀礼空間の実態および歴史的展開を知ることはきわめて困難で、ある。しかしながらその一端は六朝末ないし陪代の成立とされる『無上秘要』などの書物からうかがうことができる。中でも興味深いのは五世紀江南の道士陸修静によって整備されたとされる,祖先の罪過を取り除き,救済へと導く儀礼である黄築斎の場合である。これについては同書の記述に基づくマスペロの要を得た解釈があるので,やや長くなるが引用する(田中「黄築斎は道教寺院の庭で,戸外で行われた。その聖域は方二丈四尺で,九尺の二本の杭で作られた門が十ある(九は天を象徴する数である)。二本の杭は大きな掲示で結ぼれている。門のうち四つは各四面の真中にあり,他の四つは四隅にあって,東西南北とその中間にあたる四方を指している。他の二つは補助的で,上方と下方を象徴するものとして,北西と南東の隅にある。その外側に,天門・日門・月門・地戸という名の四つの大門を,それぞれの隅に加える。この四つの門と二丈四尺の固いの聞に,この固いの十の門を示すようなふうに,八つの掲示を配置し,その掲示にそれぞれ易経の八卦の一つが画いである。これは天・地・雷・水・山.i聞などの象徴であって,六十四の卦一つまり万物の象徴ーの形成要素なのである。外側の四つの大門は,俗界と聖域との聞の一種の中間地帝を劃定するのにあてられた。(中略,大門が聖域と祭儀に関わる人々を護るという話)八卦はこのような保護力を強め,(中略)つまりそれは防壁であり,関所であって,何ものもそれを越えることができず,精霊をして十門の前に止まることを余儀なくせしめるものであった。十方にあたる十門は聖域から俗界に行くには必ず通らねばならぬ通路だから,もっとも重要な場所であった。斎の目的は世界の十方の地域の聖霊を強いて,-649-

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