復援助やノウハウを望んでいる美術館も少なくない。この報告者を含めて筆者の論文掲載などが機会を作る一助となれば,幸いと考えている。皿.昨年度調査によって,特に重要な「漆工芸品所蔵品」が収蔵されていると考えられるコレクションフイレンツェビッテイ宮コレクション,ローマヴェネツイア宮美術館,ソレントコレアーレテラノーヴァコレクションのうち,本年度はピッテイ宮コレクションに焦点を絞り追跡調査に当たった。調査対象とするコレクションの所在地や数量,さらに時間的制限を考慮して今回は,特にフイレンツェピッテイ宮コレクションに焦点を車交ることとした。現在,ピッティ宮に収蔵される日本美術工芸品コレクションは,行政的に一箇所の美術館にまとめられていない。事実上,十箇所くらいに分割され,現在までに確認した日本美術工芸品も三個所に分散して収蔵される。漆工芸品は「近代美術館」及び「銀工芸館」の2美術館に収蔵されるが,昨年度に訪問していない「銀工芸館」で調査の許可を得るためには特に,手続きに時間がかかった。上述の通り在伊日本大使館文化担当渡辺氏にご無理をお願いして,新たな訪問先及び,再訪問先「近代美術館」両方に書状を頂き,調査を進行させることができた。しかし,1銀工芸館jの所蔵品については,手続きに時間を弄し,また美術館側の諸事情も加わったため,展示ケースのガラス越しの調査となった。調査品の詳細は将来の調査に見送る。ピッテイ宮の最新の1911年度作成インヴエンタリー記録に記録のある場合は,それを採用した。現在までに得られた資料をもとに考察し,漆工史学会誌「漆工史24号J(締切8月14日)に論文を投稿した。当論文「イタリアにおける江戸時代前一中期輸出漆器とジャパンニング(→一一フィレンツェビッテイ宮コレクション一一」は,原稿用紙約150枚,対象収蔵品73点である。全文を紹介するのは困難であるので,以下に論文の要旨を記す。はじめに日本から最初の漆器がヨーロッパに渡った時代には既に,ヨーロッパ大陸の諸国間において,王侯貴族間の婚姻,領土の変遷,支配者や文化人の移動や旅行などが盛んに行われていた。支配階級や知識人など特に,上流社会においては流行や情報などについて,我々が予想する以上に伝達網が発達していたと考えられる。17, 18世紀のヨーロッパでは,王侯貴族の間で磁器や漆器など東洋からの異国趣味の品々を邸内に飾るのが大流行した。しかし,磁器や漆器を入手するのには,様々な-672-
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