鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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問題が付きまとい,東洋での輸入経路において,ヨーロッパ政権の勢力争いもしばしば起きている。特に,漆器は高価で数量が寡少であるなど問題も多かった。当然の結果として,ヨーロッパで、磁器や漆器を製造することが求められ,技法が摸索された。磁器に関しては,18世紀前半に早くもドイツやオーストリアにおいて,ヨーロッパ製磁器の製造に成功している。一方,漆器においては磁器と同じような成功は難しかった。東洋漆器の素材として不可欠である『漆』の輸入や栽培がほぼ不可能で、あったのが主な原因である。入手のできない素材である「漆」に代わる「塗料」が摸索され,ヨーロッパ製の「摸倣漆製造Jのための研究や実験が盛んに行われ,さらに漆器風の塗装や東洋趣味意匠,加飾などについての技法書が,17-18世紀にかけて数多く書かれることとなった。この模倣漆塗料によって,室内の壁面や家具などが説えられたのである。ヨーロッパ人にとっては異国情緒に満ちた東洋趣味の意匠が,金銀を基調とした蒔絵風に仕立てられさらに,華やかな彩色なども加えられて仕上げられた。所謂「シノワズリー」ゃ「ジャパンニング」などと呼ばれる装飾が富裕階級の邸内を飾ることになったのである。イタリアルネッサンスの華を咲かせた街フィレンツェ,主役を演じたメデイチ家の住居であったピッテイ宮に,江戸時代前一中期輸出漆器とヨーロッパ摸倣漆製家具による一群のコレクションが所蔵されているのを昨年度の調査によって知った。この一群の収蔵品を対象にして,イタリアにおける日本からの輸出漆器の受容とヨーロッパ摸倣漆によるジャパンニングの行われた状況を考察した。第一章イタリアにおける「摸倣漆技法書」イギリスで出版されている。1720年イタリアではイエズス会土フイリッポ・ボナンニによって,摸倣漆技法書が専門家向けではなく一般愛好者向けに出版された。この著書もヨーロッパでは当時評判になった。この著書を手がかりに17-18世紀のイタリアにおける日本漆器の受け入れ状況,及びその摸倣の状況を推測した。以下筆者訳による抜粋例:をした。それから時を経て1655年に,マルティーノマルティーニ神父は,アムステルダムで大著『中国地誌』を出版された。この大冊子は我々に『彼の大国』についての誠に豊富な情報を提供してくれる。(中略)この大著の113頁には,彼の国の人が使用1688年,ストーカーによる最初の本格的な摸倣漆及び所謂ジャパンニング技法書が115世紀にマテオリッチ神父を団長とするイエズ、ス会宣教師団の一行が中国入り673

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