鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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mJと「オイル」が運ばれてきた。これらは,別々な容器に分けて入れてあり,私もそ素材としての「漆」の入手と実験:「前述のような信湿性のある情報を得た後に,実際に実験をする好機を得た。というのはトスカーナ大公コジモ三世のご時世において『彼の国』から相当な量のiChiara'れを一瓶ずつ頂戴できたからである。略j日本製漆器の下地について実物観察:「日本製の壊れた品物(漆器)があるので,自分自身の目で観察した。その結果,あるものは,非常に薄い布が着せられ,又あるものは紙が木の板に,同じ『塗料』で丁寧に着せられていた。」ボナンニは,書物や先人から得る情報だけでなく,漆液や漆器の実物を入手し,それらの観察や実験を自身で、行っている。ボナンニは既に,中国や日本の漆や漆器について,漆かぶれや中国の豚血下地まで知り,螺銅については,南蛮漆器に加飾された薄貝と思われる飽貝の貝片を観察して,貝の種類を調べてもいる。さらに,トスカーナ大公コジモ三世(1671-1723)の時代に取り寄せられた漆液や当時においては貴重品中の貴重品であろう破損した漆器を中国から取り寄せられたのを入手したり,分析したり分解したりした。華やかな文化を咲かせたイタリアルネッサンスの主役であったメデイチ家の住居として,ピッテイ宮〔図1]はあまりにも有名であるが,同宮内に日本,中国製漆器及びヨーロッパ製摸倣漆による所蔵品73点を確認した。収蔵品の入手経路は長い歴史の変遷を持つピッティ宮史と密接に関連をもっていると推測される。ピッテイ宮史と所蔵品の様式観察との両側面から推考する。ピッティ宮は15世紀中頃,ルカ・ビッティによって創建された。約一世紀後にコジモ一世の妻エレオノーラが遺産相続し,メデイチ家の所有となる。以来,政治文化の中心の場としてトスカーナ地方の運命と共に長い歴史をたどった。l.メデイチ時代(1537-1737) 2.ロレーナ時代(1737-1865) 3.サヴォイア時代(1860-1946)に分ける。漆工芸品は,i銀工芸館」に展示中の収蔵品を除き“11Quartiere d' Invemo" (冬期用住第二章ピッテイ宮冬季用住居歴代主20世紀にイタリア共和国所有となるまでの約五世紀聞を美術工芸史上では通常,675

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