鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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2.収蔵先イタリアの首都となり,ピッティ宮は,サヴォイア家のヴイツトリア・エマヌエル二世の王宮となる。サヴォイア王家は僅かの期間しかフイレンツェに留まらなかったため,改装は浴室など一部分だけに留まった。同王家がフイレンツェを去った後は,王家の傍系であるアオスタ公爵家が住み,1946年,イタリア共和国の所有となる。第三章ピッティ宮に収蔵される漆器コレクション及び摸倣漆による調度品類l.確認総数および制作地ピッティ宮内に所蔵される日本,中国,ヨーロッパ製摸倣漆品は,現在までに合計73点を確認した。これらの所蔵品の制作地別内訳は以下である。ヨーロッパ日本十ヨーロッパ1点日本中国合計現在「冬期用住居」に収蔵される2点の収蔵番号が不明であるが,同宮内古文書室に保存される最も最近のインヴエンタリー(1911年)による記録〔図7,8 Jでは,現在「銀工芸館」に展示されている所蔵品14点もピッティ宮の一角,i冬期用住居」に所蔵されていたので,確認した東洋漆芸品及び西洋摸倣漆製の合計73点の収蔵先を「冬期用住居」とする。日本漆工芸品,44点のうち13点は現在「銀工芸館」に展示されている。「冬期用住居」の一室「中国の間jに収蔵されているのは計58点。現在までに確認した漆,摸倣漆収蔵品総数73点についての詳細(収蔵番号,収蔵先,イタリア文化財監督局に写真がある場合の写真番号,す法,作品の特徴や意匠,様式,技法などの詳細,保存状態、など)は表にまとめた。本稿では省略し,重要なところだけ第五章のまとめで記す。第四章古文書資料ピッティ宮所蔵品についての資料は,1911年-1860年が「同宮内古文書室J(図7,8 J,それ以前は「フイレンツェ国立古文書館(ARCHIVIODI STATO di FI阻NZE)J27点44点677 l点73点

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