に分割されて保管される。(中略)ピッティ宮内に保管されるインヴエンタリーを筆者自身で照合した結果,収蔵番号不明の2点を除き,残り71点はすべての記載に記載されていることを確認した。よって,少なくとも残り71点は,1860年までに同宮に所蔵されたことになる。「フィレンツェ国立古文書館(ARCHIVIODI STATO di FIRENZE) Jには,所蔵品インヴエンタリー,遺産相続,婚礼調度記録などを加え膨大な記録が保管される。現時点までに筆者自身が目を通した範囲では,本稿で対象とする個別の所蔵品に該当すると思われる明確な資料には残念ながら遭遇しなかった。しかし,ピッティ宮関係資料において,東洋漆工芸品についての記述であろうと推測できる記載は,しばしば目にしたので参考例を紹介する。フェルデイナンド二世遺産記録(17日年): 「…木製太鼓ー鼓,黒塗りで『金粉』を使用して,アラベスク風の模様が付けられ,さらに,花々のような『貝片j(または螺鋼)や…インドや日本の…。高さ316,幅81この記述から判断すれば,螺銅や蒔絵で装飾された南蛮漆器ではないかと考えられもする。しかし,残念ながら,この記述に相当する「太鼓」は現在,同宮で確認した所蔵品には見当たらない。また,同記録中には「中国で塗られたj又は,Iインドの黒塗りJそして,1磁器JI中国磁器Jという言葉が処々に記されている。18世紀初めの頃は,インド,中国,日本製の区別が明確ではなく,記述に混乱も少なくなかったと考えると,一方で、これらのなかに日本製が含まれていた可能性も十分にあったであろうが,他方では,16世紀末に,早くもヨーロッパ,特にヴェネチアで,東洋漆製風の家具が作られていた事実があるようなので,古文書に記述されている語葉の解釈には,細心の注意が必要であろう。中略家具は,しばしば「漆塗り風」であったという解釈はできるようだ。ピッティ宮冬季用住居の歴代主はヨーロッパ各地の王侯としばしば婚姻関係を結び,頻繁に移動をもしている。さらに,この階級の人々がヨーロッパ内を旅行することは,少なくなかったらしい。本文に挙げた記録とほほ同時期である1709年には,デンマーク王フレデリック四世がトスカーナ大公メデイチ家を訪問し,フィレンツェに1/3J 16世紀末にヨーロッパで制作されていた,インド風をも含めた意味での「東洋趣味」-678-
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