鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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7.最古式自室竜耳瓶から三彩竜耳瓶を呈する。上記の第1と第2形式は,李鳳墓(675年葬)出土品を年代の基準とする第3形式よりも先行し,7世紀中葉およびそれ以前に位置づけられる。とりわけ第lとした竜耳瓶は形式的には最も遡るタイプとおもわれるが,その出現の年代をいつ頃におくのが妥当であるのかが問題の核心部分である。の構成要素を完全に共有している。さらに,最古式竜耳瓶とした4例には,胴部の肩・中位など3箇所以上に明瞭な圏線をめぐらしており,竜耳瓶の創出期には既存の器種を忠実に継承していることを読み取ることができる。すなわち,白蜜竜耳瓶は伝統的な鶏首壷の継承者として,おそらく7世紀初頭に,明器の主役として出現した。ほぼ同時期に白査などの竜耳双胴瓶も出現したが,短期間に消え去り,鶏首壷はその後も存続するものの,主たる役割を終わった。主要な明器としての役割を求められた竜耳瓶は,鶏首壷の頚部を延長して,50cmをこえる器高の高い堂々たる瓶にっくり替え,そこに密な弦紋をいれ,ループ耳を竜柄の基部に移し,いくつかのメダリオンを貼付する。すなわち,華者な竜柄と,注目部を塞ぐ竜頭はこの器形をして当初から実用を目的にしない,明器専ーとして作製されたとことを物語っている。形式的に最も遡上する三彩竜耳瓶として,ケルン東アジア博物館品と東京国立博物館蔵品(TG647)をあげ,これらを第2形式,すなわち7世紀第2四半期を中心とする年代に比定した。よく知られているように,現在,唐三彩陶器の最古の紀年銘資料は,672年の遼寧・勾竜墓出土の陶箔成形の灯火器で,671年の趨王李福墓出土の鐘片が確実に三彩陶であり,さらに麟徳2年(665)の硯台も深緑柚の三彩陶とされている。したがって,これを著しく遡上する年代観は,従来の見解と異なる。盆などの陶箔成形の三彩陶器のなかに,7世紀中葉まで生産年代が遡る可能性があり,こうした一群の小品を形式的にさらに遡上する竜耳瓶をはじめとして,鳳首瓶・弁口瓶・盤口瓶・杯などの中に7世紀中葉以前の年代を想定したほうが妥当とみられる三彩陶器がある。ここに論及した上記の古式三彩竜耳瓶は形式的にみて,7世紀中葉以前の蓋然性が第1形式の竜耳瓶は,若干の相違点をのぞくと,すでに指摘したように陪代鶏首壷-59-

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