鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
690/716

phu 滞在したという事実はよく知られている。このフレデリック四世の父フレデリック三世は,1663-1665年,コペンハーゲン郊外のローゼンブルグ域内に有名な「中国の間」を特別に説えた王である。以上のような断片的な事実からも,既に18世紀には,漆器に対しての関心はヨーロツパで高く,フイレンツェのビッティ宮にも,少なからず漆器が所蔵されていたと推測する。第五章漆器,摸倣漆所蔵品の制作年代A.ヨーロッパ摸倣漆製1. 1842年説えの摸倣漆家具マリアフェルデイナンダ未亡人のために,1中国の間Jに特別に説えられた家具調度品類〔図3,4, 5, 6)。この一室内に所蔵される25点のうち,シャンデリア,壁掛けランプ4灯,暖炉上の大鏡,中央のチルトップテーブル,長椅子l椅〔図5),肘掛椅子2椅〔図5),椅子8椅〔図10),暖炉囲い一面,コンソレ机2机など22点が1842年に制作された。現在「中国の間jと呼称され,この部屋の内装を大きく特徴づけている異国趣味の家具調度品は,この時代にまとめて説えられたといえよう。大公未亡人のこの調度の説えは,ピッテイ宮執事長の下に,優秀な意匠家や家具製作者が各工芸専門部分を担当している。調度制作担当者の詳細は以下である。まず,総責任者の執事長は,ゲラルデスカ伯爵(MaggirdomoMaggior巴contedella Gherardesca)で,設計と指揮はジョヴァンニ・ポッジ(Giovannipoggi)。各部制作担当者の内訳はシャンデリア,壁ランプ〔図4),暖炉上の大鏡,中央チルトップテーブル〔図10)の意匠設計がエジスト・ニッケーリ(EgistoNiccheri) ,アントニオ・パンケッリ(AnntonioBanchelli) ,彫刻師がルイージ・サーニ(LuigiSani) ,ロレンツオ・リストーリ(LorenzoRistori)。意匠は,羽のある独特な龍,アラベスク風の意匠,異国人,パゴダと通称される中国風の楼閣,草木や岩,伝説や風俗などである。日本人から見れば,おかしい点も目に付くものの,1蓋割J伝説や正月行事の龍の練り歩きなど中国風俗なども描かれ,技法的には,金箔だけでなく,金泥を使用して蒔絵風に仕立てている点など相当に熟練した技量の工人達が携わったことがわかる。全体に東洋趣味を西洋風に様々にアレンジした様式であるといえるが,意匠の様式は一様ではない。例えば,チルトップテー

元のページ  ../index.html#690

このブックを見る