どが囲み,満開に花をつけている。木々の下には菊,藤袴など秋草が咲き乱れる。屋根付きの塀が左板から右板に続き,塀の前に天秤棒を担ぐ男,その男の前には,歩きながら男のほうに振り向いて,なにか話をしているような作男風の出で立ちの人物など。後方には5頭の山羊や岩。岩からは生える桜,椿など樹木の枝の聞に3羽の飛鶴が螺銅に金銀蒔絵,付描線も加えられて描かれ画面全体を華々しく飾る。図は四季の区別がなく,桜も空き草も同時に咲き乱れている。あったことが記録されている。人物も中国人や日本人風が混同されているのが目に付くが。この混同はおそらく,補修の際に起きたのであろう。特に正面に補修の跡が大きく見られ,著しい螺銅の補充に加え,蒔絵部分も処々に補充された形跡が残っている。左右羽田板には,特に補修の後は見られないようである。南蛮様式の漆器の意匠は,草花や花鳥がテーマとされる場合が一般的と考えられているが,正面の羽目板2枚は珍しく人物を配した景観で,遠近無視のやまと風の構成である点など,i住吉清水蒔絵螺銅双六」外側の図と構成法,意匠が類似する。制作当初のこの家具は,四枚の日本製蒔絵羽目板が家具の大きな部分を占め,その周囲の意匠も黒地に金で花枝や蝶の意匠,小さいデリケートな模様で,まさに日本趣味の家具であったであろう。鎖国以後,オランダ人独占貿易によって輸出された紅毛漆器の前半とする。様式の基準は,前時代の高台寺様式平蒔絵や南蛮様式の螺錨が主役の座を譲り,繊細な薄肉の高蒔絵に切金などが加えられ,蒔絵中心の制作になる。技法は精巧で高度になる。このような点を考慮して,所蔵品の年代を推定してみた。ピッティ宮所蔵品を見ると,輸出市場の好みを模策していたためと見られる伝統意匠の変容が認められる。即ち,伝統意匠を装飾文に選びながら,国内で使用された通常日本製漆器にはあまり見られない,意匠の構成やデザインの変容が加えられていると考える。例えば,i住吉図盆」を例に挙げると見込みは伝統意匠で特に変容は加えられていないが,縁の意匠は花唐草でありながら,花の種類は法相華のようであるもののはっきりしない意匠で,通常の国内向けの花唐草にはみられない形の変容が認められる。a i清水図水注jと「住吉図盤J:収蔵記録では,水注と水盤の一対とされる。水注,1842年前後に塗替えや螺銅の復元,金具類や蒔絵の金の部分補充など大きな補修が2.紅毛漆器前期一江戸時代前期(1700年以前まで)684
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