金色の色合いの違い,その上に切金と付描線が加えられ,古梅の枝には立体感が付けられている。伝統的な手水盟の形で,桃山時代に囲内で流行した黒と梨地の片身替の意匠である。梅に小松に流水といった伝統意匠を取り入れているが,盟の身内半分に梨地最しで大きく表現される流水,または波にしぶきは,非常に個性的である。この流水意匠の類似例を筆者は他に知らないが,自由大胆な変容が伝統意匠に加えられていて,独特の意匠である。具用の水盤として輸出用に観音像を付けて異教の国に送ったとしたのなら,工人の苦労が微笑ましいような気がする。技法は,薄肉高蒔絵で九帳面に描いているが,表情が硬い。獅子や菩薩の肉っけなどは寧ろ,多少滑稽でもある。縁に付けられている窓の内側の梨地には細線で雷文か鞘形文を変形したような意匠になっている。1700年以降日本の漆器は輸出の主流からはずれてゆき,品質面に対する製作者側の譲歩も多分あったために,蒔絵の部分がよりシンプルで,素描風になり,漆そのものもそれまでより薄くなって,いくぶん平板であまり精密でないスタイルの装飾の起源が始まった。そして,平皿,受け皿,お茶やコーヒーやチョコレートのためのうつわセットがあらわれ,中略そして,これらはオランダ以外でも人気が高かったという。本文では,ヨルグ氏の挙げる様式変化の傾向を考慮して,1700年を区切りにし,制作年代を推定した。前代に引き続き意匠は,伝統に従いながらも,日本ではあまり見られない意匠構成デザインの変容がされ,この傾向はこの時代に殊更に強調されていったようである。個々のケースで漆器の仕上げは当然異なるであろうが,一応の目安を以下のようにした。①伝統意匠の変容が前代より更に,大きく展開されている。② 技法は単純な工程仕上げの蒔絵となり,精巧で密度の高い作例が姿を消す。③ 意匠は概して大柄になっていくか,又は黒塗り部分を多く残し,部分的に蒔絵が施されるようになる。④ ヨーロッパ風の形態が取り入れられている。例えば,1蒔絵小皿シリーズ」及び「蒔絵小椀シリーズJの作例に見られるように,黒塗りの余白部分が多くなり,蒔絵は金一色のみで施され,稀に切金が加えられていc 文殊観音坐像蒔絵盤:(略)用途の判断に戸惑うが,水盤で、あろうか。もし,宗教3.紅毛漆器後期(18世紀■幕末以前まで)C.J.A.ヨルグ氏による18世紀輸出卯漆器の特徴を以下に整理する。686-
元のページ ../index.html#697