鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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ったこと,とりわけ東洋印刷所が創設され中国語や日本の活字も充実されたことなどについて,詳細な発表が行われた。続いて同大学文哲学部の鷺山郁子助教授は,フイレンツェにおける日本学研究の歴史に焦点をしぼって発表された。すなわち,1863年王立高等学院においてアンテルモ・セペリーニが日本語と中国語の教授にあたったことをはじめ,第二次世界大戦後のフォスコ・マライーニの貢献によるフイレンツェ日本学の再興,近年のアジア研究センターの創設など,日本学の今後の興隆についての期待を述べた。次いで,このイタリアにおける日本学の発表を受ける形で,本研究科木下直之助教授が,11880年前後の日本におけるイタリア式美術教育jと題する発表において,本学大学院工学研究科建築学科に所蔵される本学の前身である工部大学校・工部美術学校時代の貴重な教材資料(石膏製の彫刻など)をスライド映写,およびこの学術会議での配付資料として特別に編集執筆された英文パンフレットを使って紹介しながら,1880年前後の日本におけるイタリア式美術教育やその他の日伊文化交流を詳細に跡づけた。この後,午前のセッションlを締めくくる総括デイスカッションでは,計5名からコメントを含めた質問が投げかけられ,関係する講演者からの応答を軸に,活発な議論が繰り広げられた。なかでも木下氏の興味深い発表は,イタリアの聴衆にも大きな刺激を与え,質問も美術と技術との受容の仕方をめぐるものや,明治初期の学生達の服装についてのもの,浮世絵の新しい時代への対応など,多様な視角からの質問が相次いだ。これに対して,木下は美術史とそれ以外の学問の協力の必要や,和服・洋服の比率,新聞を素材にした新しい錦絵文化の存在などについて述べ,議論を豊かなものにした。また鷺山助教授の発表で触れた音楽について,それが日本の音楽を直接に聴いたものなのか,否かなど,鋭い質問もまた面白い議論の局面を聞いたといえよう。その他,東洋学の伝統とユダヤ文化の関連や,ウゴリーニ研究の現状についてなど,興味深い発言が相次いだ。昼食後,セッション2が,本研究科河野元昭教授による発表「舶来イタリア人美術家と日本美術jをもって始まった。河野教授は,工部美術学校におけるアントニオ・フォンタネージの教育方針について,日本美術との比較において論じた。フォンタネージの模写・写生重視の教育方針が,江戸時代までの狩野派の粉本主義に通底するのも,イタリア人美術家も狩野派と同じくアカデミズム(官学)系であるためであること,フォンタネージの講義が円山応挙の画論によく似ていることなどを指摘しつつ,フォ-694-

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