鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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ンタネージの学生たちがこのような日本美術との類縁性に引きつけて,舶来イタリア人美術家の理論や作品を理解しようとしたことを明らかにした。続く,フィレンツェ大学経済学部助教授アレッサンドロ・ベルナルデイ氏は,レオーネおよびパゾリーニというイタリア映画監督が日本映画監督のうち,それぞれ黒津および溝口の作品にいかに恋したかを明らかにした。とりわけ,1951年のヴェネチア映画祭における黒津の「羅生門」の金獅子賞獲得がイタリアの映画界に与えた衝撃をはじめとして,パゾリーニが溝口を念頭において多くの映画(特に「ソドムの市jなど)を撮影したこと,またレオーネの「荒野の用心棒」が基本的に黒沢の「用心棒」のリメークであること,翻って黒揮の「用心棒」のストーリー自体がダシール・ハメットの小説『赤い収穫』をもとにしていることなどを明らかにした。最後の発表は,本学名誉教授高階秀爾氏による「イタリアに学んだ明治の芸術家たち一川村清雄と彼の同時代人」であった。高階名誉教授は,工部美術学校開校とそれに伴うイタリア人美術教師来日より少し前の,1874年にヴェネツィアにおいて,パリから当地に移り住み,7年間滞在した画家川村清雄によって日伊の美術交流が開始されていたことを指摘された。彼を引き継いでヴェネツイア商業高校日本語教師となった長沼守敬が,同じく,ヴ、エネツィア美術アカデミアで彫刻を学び,帰国後,その研錆の成果を日本に伝えた。特に,発表では川村のヴェネツィア時代のスケッチ類を手がかりに彼がヴェネツイア美術アカデミアでの教育から得た成果や当時ヴェネツイアで活動していた地元および外国の芸術家との交際から受けた影響を,帰国後の川村自身の作品や後輩への絵画指導の中に跡づけた。続いて,セッション2の総括質疑応答に移り,本学の鈴木啓二教授よりベルナルデイ氏の日伊映画比較に関して,その興味深い視点を評価しつつ,しかし日本の黒津とレオーネ,また溝口とパゾリーニの作品上での影響関係とでは質がかなり異なるのではないかという問題について有意義な発言があり,刺激的な議論が交わされた。また,テイスカッションにあっては,本学の通訳担当教官が活躍した。なお,この学術会議のため,駐日イタリア大使ガブリエーレ・メネガッティ閣下からはメッセージを賜り,会場でセッション1の司会の長神教授によって読み上げられた。その後,学術会議を締めくくり,併せてこの機会に参加された研究者諸氏の親睦を深めるため,東京大学フイレンツェ教育研究センターに場所を移して,レセプションが行われた。約70名と参加者も多く,意見交換や今後の学術交流に関する提案など盛

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