います。ちなみに,古くから東洋では蛇の虫の仲間と考えられてきました。北斎は,建築の構造を正しく描くことにも強い関心を抱く人でした。5編〈輪蔵〉は6ページにわたって,輪蔵という仏教の経巻を収蔵する建物の外観を描いたものです。左はその部分図ですが,画面からはみ出した屋根の軒先の部分をそこだけ余白を利用して別の場所に描きたしている,その執拘さには,ほとほと感心させられます。鉄砲やピストルなど,兵器についてもその構造に興味を持って,詳細に確かめ,忠実に描き留めています。あたかも製図家のように正確さを追い求めています(6編〈鉄砲とその用具および標的),11編〈短銃})0 3編〈遠近法の図解と黒人群像〉では,空間の捉え方にも合理性を求め,西洋画の遠近法を教えようとしています。左の図では,近くの物は大きく,遠くの物は小さく描くように,そして右の図では風景画の画面を三つに割って構図を取るようにと,それぞれ注意しています。〈富巌三十六景・五百羅漢寺さざい堂〉と〈富巌三十六景・神奈川沖浪裏〉は北斎の富士山を描いた連作のうちの2図ですが,左が上から3分のlを空にした例,右が3分の2とった例です。北斎は,東洋の伝統的な空間の捉え方から離れて,西洋の合理的な風景表現の方法を獲得し,それを『北斎漫画Jを通して広く一般の日本人に知らせようとしたのでした。『北斎漫画』の魅力の二番目として,似たような形の人や物をいくつも並べて見せる,絵尽くしのおもしろさ,楽しさがあります。2編〈お面尽くし〉には,お祭りの時の儀式や寸劇,能や狂言などの舞台などで顔につけるお面が集められています。一つ一つでは何の変哲もないお面でもたくさん集まるとユーモラスな表情が生まれてくるということを北斎は良く知っていました。太った人もやせた人も,それぞれ集団となれば,そこはかとなく可笑しく見えてきます(8編〈太った人たち)<やせた人たち})。踊る人たちも様々な姿を分解して並列すると,不思議なことにまるで動いて見えてくるようです。アニメーションのーコマをみているようではありませんか。3編〈相撲を取る人たち〉では,何人もの人々が二人ずつ組になって,相撲という,一種のレスリングをしています。準備運動をしたり,相手を土俵というリングの外へ押し出したり,あるいは倒そうとしたり,力士たちの様々な姿が変化に富んでいて,実に楽しく鑑賞されます。槍の稽古をする人たちが4ページにわたって続きます(6編〈槍の稽古})。棒を使って相手を攻めたり自分を守ったりする武芸の稽古も,その後に4ページ続きます(6編〈棒術の稽古})。画面全体に活気のある動きが生まれて,めまぐるしいほどです。アニメのない時代に,これを見た人々の楽し702-
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