さはどれほど大きかったか,想像できますか?さて,r北斎漫画』は今の「マンガ」のように,見て分かりやすいユーモアも提供してくれます。この図の上の部分は,子供たちのお母さんが昼寝をしているのですが,太っているためでしょう,着物のお尻のところが破れていて,それを見つけた子供たちが指を指して笑っているところです(12編〈お母さんと昼寝と雷さんのけが})。下では雷の神様が空から行水をしている人の所に落ち,けがをしたという設定です。身体を洗っていた男の人も,お湯を運んできた女の人もび、っくりですが,一番痛かったのは雷さんの方のようです。この時代の日本人は空の雲のうえに雷の神様がいて,音や光を出したと思っていました。自分が落ちてきては神様らしくないと,笑いを誘っているのです。北斎の手にかかると空想上のことも本当らしく見え,いかにも痛そうですね。この図『北斎漫画j8編〈狂画葛飾振〉には「狂画葛飾振」と書入れがあります。すなわち,葛飾風,北斎風のユーモラスな絵という意味です。北斎は太った人たちをからかうのが好きだ、ったようで,ここでもころころと太った男女の日常の姿をおもしろおかしく描いています。後ろ向きの猫までまるまると太っているから愉快です。偉い武士でも,城に上る(出勤する)途中,急に便意をもよおすこともありえます。道路脇の公衆便所で,用を足している主人と,外で、待っている家来たちが描かれています(12編〈公衆便所の武士})。戸の上半分が聞いているので,臭いがあたりにただよってしまいます。神妙そうな主人の顔と,鼻をつまんでいる家来たちの迷惑そうな表情の対比が,見所でしょう。しかしながら,北斎の目と心には意地悪なところがないので,その絵は,単に見て滑稽なだけでなく,人間として生きることの根源的な悲しみや可笑しさ,懐かしさまでも伝えてくれるようです。10編〈おかしな諸芸〉には,人に見せる芸の色々が描かれていますが,とくに左ページの上の「百面相Jが愉快です。男の顔がいろいろな表情に変わる様子を面白おかしく描きとらえています。上の一番左の人は,鼻から出す息で蝋燭の火を消そうとしています。仏教の偉いお坊さん,禅宗を聞いた達磨のようですが,そのまじめそうな顔を縦や横に引き伸ばして,滑稽化しています(12編〈縦と横に伸ばした顔})。動物を擬人化した,メルヘンの世界も描かれました。鼠が住む隠れ家の穴の中には,-703-
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