だが,それは,I現実は灰色に見えるjというジャコメッティの視覚的信念から由来するのだが,実際上は白で消しては黒白で描き,描いてはその上から白で消していくことを,生乾きの状態で何度も繰り返すからである。この様子は,矢内原伊作の『ジャコメッティ.1(みすず書房,1996)の日記に記されている。ただし,ジャコメツティはモデルを使っても,後で記憶で描く。この場合,それをサルトル的に想像上と言えなくもない。しかし,Iきみの現実のイマージ、ユがまだ頭に入っていない」とジャコメッティがヤナイハラに言ったように,最終的には,彼はベルクソン的な意味での記憶で描くのである。だからこの記憶は,非常に精綴で,統合的な記憶である。モデルを前にして描く場合,彼はモデルの頭部の構造を細部にわたって,最も帝国い筆で実に細かく分析して描くが,そのあと,その分析の成果を間違いとして消してしまう。こうした対象の拘束から自由になるための否定的行為の果てに,彼は本質的な黒白の椋を浮かぴ上がらせるのである。したがって,こうした行為の結果を,悪魔払いの儀式にたとえるホールの文学的見解は表面的と言わざるを得ないが,これはジャコメッテイの最後の作品展開の序曲という意味合いの彼の戦略的解釈とも考えられる。次にホールは,この時期,ジャコメッテイは新しいテーマで仕事を始めた,としている。それは,生の本質を包括するものとしての「まなざしJである。生きたまなざしを,彫刻や絵画に与えることは,彼の死まで,なによりも重要な目的であった,としている。これは,Alberto Giacometti Ecrits (Hermann, 1992)所収の対談で何度もジャコメッティ自身が言っていることなので,異論の余地はない。また,まなざしを作るものとして,眼の曲線,眼寓の造りそして眼球への切り込みをホールは指摘しているが,これも実際の作品〈ヤナイハラの胸像>(1960)を見れば,明白である。ただ,まなざしを造形することを明確に意識したのは,ヤナイハラをモデルにして肖像画を描き,仕事を放棄しなければならないほど行き詰まっていたときの1956年12月1日である一一ここで断わっておきたいのは,現在私は,アメリカのジャコメツティ研究の第一人者であるヴァレリー・フレッチャ一博士とともに,矢内原伊作がジャコメッテイのモデルをつとめたときの矢内原の日記を現在英訳中である。これは,来年刊行の予定なので,正式な文献としては使えないが,ホールの見解に反論する際に,以下のように日記の日付を示して引用するのを許されたいーーさて,まなざしの問題は,いわば窮余の一策でもあった。ヤナイハラの日記でのジャコメッテイの言葉を引用しょ-63-
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