鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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つ。「今までは,鼻の先から内部へと進んだが,これではどうしても眼に到着しない。一挙に眼から始めなければならないのだ。それによって,はじめて鼻もつくれる(中略)眼は顔の中心だ。それは,穴で,頭の中心につながっている。頭の中心から始めなければならぬ。それによって外部が建築されるのだJ(1956年12月1日)「眼から始めれば,ひとりでにうまくいく,ということは嘘だJ(1956年12月2日)「画布が平らであることを意識しなければならない。糞!今までは画布が平らであることを忘れて,奥行きを実際に画布に移そうとした。しかし,奥行きのイリュージョンを画布に移しかえなければならないのだJ(1956年12月3日)以上の引用から分かるとおり,眼を突破口にしてヤナイハラの頭部を描こうとしているが,それが次の日には否定される。そして次の日には,画布の平面性を意識している。これは,ヤナイハラの日記によれば,1961年まで彼が意識していた問題である。ただ1956年の段階では,彼が描こうとしていたのは,ヤナイハラの半身像とその周囲の空間である。その領域をイリュージョンとして画布に移そうというのである。したがって,この段階ではホールの主張する「まなざし」の造形が目的となっているのではなく,距離をもった視覚的空間である。実際の絵〔図1Jから,このことは明白である。奥行きのイリュージョンをそのまま移そうとするため,絵は暖昧な灰色の空間にならざるを得ず,眼はまだソケット状態である。また,ここでついでに指摘しておきたいのは,鼻と眼,どちらをジャコメッテイは先に描こうとしたのか,あるいはどちらが優先されたか。晩年に制作された記録映画一一AlbertoGiacometti, 1965-1966, Film 15mm, par Emst Sheidegger et Peter Munger Production-ーをみると,たしかに先に両眼と眉間の垂直線を描いているが,この時期問題であったのは,やはり鼻の先端で,それは1959-1960年になって,ょうやく明確に捉えられている〔図3J [図4J。これは,むろんヤナイハラの肖像だけではない,もし手近にジャコメツテイの作品集があれば開いて見るといい。アネットの肖像の鼻は,1960年代にならないと,明確に捉えられていない。64

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