さて②の「決定的な危機Jとされているこの時期に移ろう。一体何が危機なのか,ホールは,11956年にヤナイハラと仕事し始めるようになってから,だんだんとすべてがうまくいかなくなったように思えるJとジャコメツティがロードに言ったというジェームズ・ロードのジヤコメッティの{云言己一一-GiacomettiA Biography, The Noonday Press, FARRAR, STRAUS and GIROUX, 1983一一の記述をまず引用している。ゴシップが多分に含まれているこのロードの伝記は,アネット夫人と裁判沙汰になったほど問題の多い本で,ロードの視点は三面記事を書くライターと変わらない。おそらくホールもそういった点は心得ているようで,重要な論点を補強する引用には使っていない一一後にホールは,ロードの伝記とは違って,資料としての性格をもっ証言と写真を集めた伝記--GiacomettiA Biography in Pictures, Verlag Gerd Hatje, 1998ーーを刊行している。しかしホールはこの伝記でも,1956年はロードの証言から始めている。そしてヤナイハラのテクスト一一一干agesde Joumal", Derriere le Miroir, No.127, Maeght Edit巴ur,1961一一ーと,ジャン・ジユ不のテクスト一一一L'Atelierd'Alberto Giacometti, Barbezat, 1958一一ーから引用している。これらの引用は妥当性があるので,ここでは問題としないが,ただヤナイハラと仕事を始めるようになってからうまくいかなくなった,というジャコメッテイの言葉の意味は,辛抱強くヤナイハラがポーズしてくれるので,それまで徹底的にできなかったものが,ここで一挙にジャコメッティの目指す探究に入り,困難をきわめた,ということであろう。ロードは,いつもそうなのだが,ジャコメッティの言葉を表面的にしか解釈しない傾向がある。ともかく,ホールは,この時期はジャコメツテイの作品の最後の転機であった,と判断している。ところで,その転機の内容だが,ジャコメッテイの芸術は常に彼を凌駕するレアリテとの対決だ、った。それまでは,偶像としての人物の根本的なレアリテを現出させたり,生命の力を発するまなざしゃ頭部を表現しようとしていたが,今度はヤナイハラという日本人の非常に特異な顔貌に出会うことで,レアリテが個性の特異な面に現われるということがジャコメツティに分かつた,とホールは推測する。つまり普遍的な人間のレアリテではなく,特殊な個人のレアリテを探究することに変化した,というのである。さらにホールは,ジャコメツテイは1951-2年頃にすでに作品を実現するための様式上の約束事を放棄しており,ただ彼には不確実性だけが残され,それが理由で,1950年代の彼の作品で成果を出すことがほとんどできなかった,としている。そして,ジャコメッテイの野望は,再現という説得力のあるかたちで,芸術作品がす65
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