1994-ーがヤナイハラの役割を評価している。その理由は,ヤナイハラの顔が単純だ、っかりそのレアリテの写しとなるような完全性に達することであった,としている。さらにホールは,パルザックの『知られざる傑作Jの主人公フレンホーフェルの探究とジャコメツテイの探究は類似しており,セザンヌの逸話もいれて,ジャコメツテイが達成不可能な難題に直面していた,としている。そして,その困難な試みを,ジャコメッティの神業的なただ一つの描線で,あるいはただ一つの切り込みで,人物の個性的な全体性,一挙に感じ取られる全体性,すなわちその絶対的本質を現われさせることが問題であった,としている。したがって,ジャコメッティは,一瞬間にして現われるようなモデルのレアリテに達するために,消したり描いたりを繰り返して,結果ではなく,その創造の行為そのものが問題であった,として,この時期の作品の不毛性を理由付けている。上記のホールの見解は,他の研究者に少なからず影響を与えた。1991年に刊行されたイヴ・ボンヌフワの大著ャコメツテイの作品,とくに1956年から1961年の聞に制作された〈ヤナイハラの肖像〉や〈ヤナイハラの胸像〉をまったく評価していない。つまりデイエゴやアネットをモデルにした作品よりも出来が悪い,としている。ボンヌフワはその理由を,日本人ヤナイハラの顔の表情のなさ,異文化の人間同士の価値観の相違,宗教の違い,結局,お互いに理解し合えないことがその原因である,としている。おそらく,ボンヌフワは,どれだけジャコメッティとヤナイハラが親密な関係を取り結んで、いたか,をまったく知らないで,一般的な日本人像と人種的偏見をヤナイハラに当てはめているように思える。そもそも,このボンヌフワの大著は,図版は豊富で質がよいのであるが,テクスト独自の面白さはあるものの,その根拠が暖昧で,叙述の信恵性は望めない。フレッチャ一女史は,その著一一Giacometti,Smithsonian, 1988一ーで,この時期はジャコメツテイの国際的な評価が定まり,各地で回顧展が開催されるようになり,作品も反復的になり,ジャコメツティ自身が心理的に何かにチャレンジする必要性を感じていた,と述べている。さらに女史は,実存主義者としてのヤナイハラの知性に注目し,ヤナイハラの哲学的な思想、が,作品が常に失敗へと運命づけられていると考えるジャコメッテイの傾向に火をつけ,ただ続けることのみの闘争へと彼を導いた,としている。最近の研究では,ティエリー・デュフレーヌの研究書一一Giacometti,Skira, Giacometti, Flammarion, 1991一ーでは,この時期のジ66
元のページ ../index.html#76