oo cu 1957年以降は2m~ l. 5m, 1960年の胸像をやる場合は1mぐらいに近づいている。図4)は1960年,そして〔図5)は1961年である。ヤナイハラの肖像においては,2m 自分を表現しない。コップをコピーせよ,それがすべてだ,と自分に言う。それでもやはり,それは相変わらず私のコップなのだ」というジャコメッティの言葉をヲ|いて,これは,コップがく私の〉コップになることだ,とホールはいう。このく私の〉という括弧付けの私は,i私のヴィジョンjという意味でホールは使用している。③の標題中の「分身J(あるいは「写しJ)の原語はdoubl巴である。結局,レアリテの分身(写し)が「私のヴイジョンJということである。簡単に言えば,見たままを描く,ということになる。本当に簡単な言葉だが,これほど難しいことはない。ジャコメッテイは輪郭線ではない描線を使う。これを,ホールは「力線の束」という。この線は,なんら物質的なものを表わそうとするのではなく,諸形体に接して進む線だ,という。だから,もはや,芸術家とモデルを隔てる灰色の幕は存在しない,という。それゆえ,レアリテと競うのではなく,それ自体において自足している作品を実現しようとしている,とホールは見る。そして,モデルの生に似ているもの,まなざしに関係するものを構成する何かを現われさせるために必要な条件を画布の上や粘土で設定するにとどめ,この何かを,ホールはpresenc巴と言う。普通「現存Jと訳されるが,モデルがそこに居ること,その存り処をジャコメッティは示すだけだ,とホールは言うのである。さらに彼は,われわれはジャコメッテイの絵を真正面で分析するように見てはならない,とする。真正面からちょっと眼をそらせると,そのプレザンスの意味が分かる,という。また,彼は,ジャコメツテイの晩年の作品が非常な密度を感じさせるとして,その理由を具体的に示している。それは,彫刻では眼への切り込み,肖像画では眼の上の白いハイライトである,という。要するに,ホールは,生きている人間同士が取り交わし合うまなざし,これをジャコメッティは白のわずかなタッチの妙技で表現しているというのである。しかし,実際に作品を検討しよう。ジャコメッティはモデルと非常に近い距離で対面して描いているのである。この距離はヤナイハラの場合は,1956年は3m~2m, 版をご覧いただきたい。〔図1)は1956年,(図2)は1957年,(図3)は1959年,(図のものが〔図1,2)で,l.5mのものが〔図3),およそ1mのものが〔図4,5) である。明白なことだが,モデルを取り巻く空間あるいは奥行きを描いているのは,〔図1,2, 3)である。つまりジャコメツティは1959年まで,モデルとそれを取り巻
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