鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
79/716

く空間のヴイジョンを画布に描こうとしていたのである。しかし,1960-61年には,頭部が集中的に描かれる。それは画面から抜き出るほど彫刻的である。この両年は,胸像も並行して制作されたので,その影響があるのであろう。1mの距離で目の前の人聞を描くとは,どういった事態なのだろうか。友人のパルチュスが言うように,まさに狂気の沙汰である。私が1961年制作の〈ヤナイハラの肖像〉を見たとき,ヤナイハラが目の前にいて,私を見て,その眼差しからなにかを語りかけているような錯覚に陥った。つまり,その肖像に対面にすればするほど,ヤナイハラの存在を感じたのである。これこそ真の意味のpresenceではないかと思う。ホールは,サルトルの想像力論やメルロ=ポンティの知覚の現象学に頼りすぎである。ジャコメッティは,彫刻は軽く見えなければならない,という。すると絵画はどうだろう。ジャコメッテイの肖像画は,血肉をもった生きている存在に見える。イリュージョンではなく,ヤナイハラそのものがそこに居るのである。それは,Iレアリテの分身」という言葉では割り切れないもの,むしろ実体的な意味をもつものである。むろん,絵画がイリュージョンであることは確かだが,しかし1mの距離から人物を描くということは,サルトルの「人間の距離=イマジネールな空間J,あるいは「相互人間的な距離をもった人物」という解決では,後期のジャコメッテイの作品を理解することはできないのではないだろうか。したがって,1960年以後の彼の絵画は,彫刻と絵画が合体し,距離が喪失していったと考えなければならない。これはサルトルの有名な言葉「彼は画家として彫刻に来た」あるいは「彼は彫刻家として絵画に来た」というレトリックでは片づかない問題である。したがって,私の研究は,さらに彫刻作品の分析を加えるために,ここでいったん止めて,継続研究としたい。69

元のページ  ../index.html#79

このブックを見る