鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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注(2) r明治天皇紀』第一巻(吉川弘文館,1968年)(3) r保古飛呂比佐佐木高行日記』四(東京大学出版会,1973年)(4) 佐藤道信「明治美術と美術行政J(r美術研究』第350号,1991年)(1) 明治5年の社寺宝物調査については,由水常雄「明治五年の正倉院開封目録J(r美していたのである。以上,小稿では,主に式胤の日記から,明治5年の社寺宝物調査に至る明治初年の式胤の動向を一貫性のあるものとして考察していった。しかし,小稿で明らかにしたことは,後に『観古図説.1. r徴古図説.1. r好古図説』などをまとめることになる式胤のわずかな軌跡に過ぎない。冒頭でも述べたように,式胤の事績を詳細に検証していくことは,日本近代国家形成期の文化政策を見ていくうえで重要なことである。ひいては,日本美術史あるいは文化財保護の形成過程を明らかにすることにも通じる。そのためにも,多くの研究に寄与することのできる式胤の業績の活字化を着実に進めていきたい。術史』第80号,1971年),明治4年の江戸城写真撮影については,原田実「東京国立博物館保管『旧江戸城写真帖.IJ(rMUSEUM.I第334号,1979年),時川親正編『観古図説一城郭之部.1(中央公論美術出版,1990年)。モースとの交流については,時川親正「モースの日本陶器コレクションと峰川式胤J(r人類学雑誌』第87巻3号,1979年),同「モースの陶器収集と時川式胤J(守屋毅編『共同研究モースと日本』小学館,1988年)がある。また,式胤の業績については,r東京国立博物館百年史.1(1973年)や金井杜男「峰川式胤と古美術写真家横山松三郎の業績JU学叢』第11号,1989年)でも紹介されている。その他大阪市立博物館特別展『ルーツ日本の博物館.1(1979年)などでも触れられている。また,捲川親正編『観古図説一城郭之部.1(中央公論美術出版,1990年)には式胤の年譜とともに,青木茂,樋口秀雄,東野進,森山英一各氏による解説が掲載されている。80

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