衆Jと似たものに「若人Ji若き間Jといった語棄も見え,むしろ「若人」などの方が惣などの若衆と年齢層が大体重なるように見受けられた。そして,i若衆Jと「若人」ったこともあって,実際の記述と1歳相前後している場合もある。また,記述に従って年齢層を狭めている場合もある。如上の年齢層の区分はあくまで概念化した基本設定である。故実書に「若衆Jという語棄が見えるが,この「若衆」には注意を要する。一定の惣などでは若衆・(中老)・年寄という年齢制の社会集団があったが,故実書の「若衆」と惣などの若衆とが,殊に上限に関して年齢層を同じくしていたか疑問がある。「若などとを同義と捉えにくい節があり,特に,i児若衆」のように見とともに使った用例では,年齢層の上限は「若人」などよりも下がるように思われる。そこで,一部の例外を除き,ひとまず「若衆jに青=16~18…25歳を充てた。表1から一見して看取されることは,相応とされる衣材・意匠が年齢が進むにつれ次第に地味になってゆくことである。これは先学が指摘してきた通りと言えよう。注意を要するのは,r伊勢備後守貞明覚悟記.1r宗五大草紙.1r河村誓真聞書.1r奉公覚悟之事.1r女房筆法』の「はだこうばいJi (とうとうみ)あかねJi (ぬめの)こうばい」である。長期に亙って繰り返し登場しており,それを規律が守られなかったことの表れとみる向きもある。しかしむしろ,故実書の相伝という性格に直接的な要因を求めるべきであろう。「はだこうばいJi (とうとうみ)あかねjは年齢相応よりもやや地味に装うよう述べる条(A)に含まれ,i (ぬめの)こうばい」はすぐ次の更衣の概略を述べる条(B)に含まれる(注3)。語棄や微細な情報を照合してみると,r伊勢備後守貞明覚悟記.1r奉公覚悟之事』が同系,r宗五大草紙.1r河村誓真聞書.1r女房筆法』が同系と判り,また,二つの系統は共通の祖本(的なもの)から派生したことが想定され得る。A.Bの2条が長らく受け継がれたのは,内容に大きく負うている。装いの総評と言うべきAと更衣の梗概であるB,この2条によって衣装についての大略は示される。従って,衣装関係の記事の先頭に置かれることが多い。他の煩雑な条々を除くことがあっても,この2条は欠き難い指針になったものとみられる。文章構成からすれば,「はだこうばいJi (とうとうみ)あかねJi (ぬめの)こうばいjについての箇所は補足的なものと言える。殊更挿入したとすれば,あず、かったのは赤系統の色に対する問題意識であろう。小袖の分類として「紅入らずJという他の色ではみられない熟した用82
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