鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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2.形態に関する問題振袖について語の存在o山科家札記』応仁2年6月29日条他)が示すが如く,赤系統の色をいかに使うかは大きな課題であり,注意を発しておく必要があった。直接的には相伝に因るとしても,A'Bの2条が継承された背景には注意したい。特に装うことが基本的な心得とされ続けていたことが窺われよう。ただし,このことを小袖型服飾に独自的な特色とすることはできない。多くの他の服飾とも共通し,また,時代に関しても汎歴史的なことであろう。そして,小袖型服飾には年齢と関わるならではと言うべき特色が他にある。それは振袖(古称では「わきあけJ)である。従って,小袖型服飾に特有の年齢と関わる振袖がいつ頃確立したかは重要な検討課題と考える。遺品としては桃山時代のものが最古となるが,文献や絵画にはもっと早くに見えている。そこで,文献・絵画を通して確立期を押さえてみたい。文献では『簾中旧記』に見える例が早いものとして紹介されている(注4)。報告者もそれより遡る例は,r殿中以下年中行事』に「練貫之広小袖jという留意される語棄があるのを除けば,見出していない。問題は『簾中旧記』がどれほど信用が置けるものかということにある。日野富子(1440-96)の女房衆などに関する著述と伝えるが,それが首肯し得るものか検証する必要がある。記された年中行事等の詳細については,この著述ほど多くを語るものはなく,他の史料によって裏付けを得ることは難しい。そこで,登場する将軍家の側近衆に注目してみると,当時の古記録から,現時点で18人中16人まで実際に活躍していたことを確認し得た。『簾中旧記』はかなりの信憲性を有するものと考えられる。振袖は,5月5日の薬玉が内裏・伏見殿・御霊殿より「わきあけの上臆たち」に贈られる,というところで出てくる。薬玉は幼少者に贈られるものであり,上臆は女房衆の中で最上格に位置する。女性のこととなるが,r簾中旧記』からは,振袖を着用しているのが幼少の高位者であるという情報が得られる。一方,絵画では「山王霊験記絵巻J(和泉市久保惣記念美術館・頴川美術館・細見美術館・延暦寺に分蔵,東京国立博物館保管の断簡も一連に加えられるヵ)に見える例が最も早いもののーっとして挙げられる。「山王霊験記絵巻」の制作時期については,15世紀初頭頃か15世紀半ば頃かで意見が分かれているので,まずは制作時期の確定を試みることにしよう。にAの継承からは,微細なところなどは措くとしても,やはり年齢が進むにつれ地味83

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