15世紀半ば過ぎの制作として,次に振袖に考察を進めよう。画中に見える例を列挙頴川美術館蔵本のうち伝能阿弥筆の第二段詞書の書風に注目したい。能阿弥の書の基準作としては,文明元年(1469)奥書の「集百句之連歌J(天理大学附属天理図書館)が知られている。両者を比較してみたとき,字形は勿論のこと運筆のリズムに至るまで酷似することに気付く。同筆とみて大過ないだろう。従って,I山王霊験記絵巻」の制作年代の下限は能阿弥残年の文明3年(1471)と押さえられる。なおかつ,「集百句之連歌jの書風との近接は,能阿弥晩年,文明3年以前の15世紀半ば過ぎのものであることを示唆していよう。そして,この頃であると,r経覚私要紗』長禄2年(1458) 8月12日条の「日吉験記絵J第13巻の詞書を経覚が依頼された記事を視野に入れたい。現存本では第13巻に相当する部分が未発見で欠く以上,経覚分担本に結ぴつける術はない。だが,書誌的な側面も併せ鑑みると,両者が同一であることはあながち不当なことではなくなってくる。以上,現存「山王霊験記絵巻」の制作時期は文明3年(1471)以前の15世紀半ば過ぎとみられ,更には,長禄2年(1458)頃に絞り込まれ得る可能性を指摘した。すれば,下の通りである。なお,1Jは詞書そのままの引用である。〈和泉市久保惣記念美術館蔵本〉① 上巻第5段:I十歳ばかりになりぬとし月J時の讃岐守経元の「小児」② 上巻第6段:侍従大納言成通卿に祇候の「おさなき上童(小女)J③ 下巻第2段:物貸しの商人寵愛の「女子(東西もしらぬおさなき者)J④ 下巻第3段:同上〈頴川美術館蔵本〉⑤ 第2段:I幼しては」時の逗賀と聖救の兄弟〈細見美術館蔵本〉⑥ 第5段:拐厳院の明賢に砥候の上童である児(詞書に言及なし)着用者はいずれも男女の幼少者である。そして,①②③(④)⑤は,説話で重要な役割を果たし,山王や十禅師等の加護や託宣の対象となる聖性を有している。また,①⑤は成長して優れた聖職者になる。②⑥は出自が身分的に高く,③(④)は裕福である。着用者はいずれも聖性・富貴といった要素も備えている。もっとも,他に小袖型服飾を着けた幼少者が描かれていないためこの絵巻のみでは振袖と聖性・富貴といった要素とを関係づけて語ることはできない。だが,大永4年(1524)奥書の「真如堂-84-
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