鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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注おわりに小袖中心時代に至る過程とその画期についての解明は,染織史・服飾史の重要な課題であり,これまでに少なからぬ論考が重ねられてきた。それにもかかわらず,一般的な概説で暖味に濁した叙述とする傾向が示すが如く,諸説紛々たる有り様で,定説と呼べるものは未だ確立していないと言わざるを得ない。恐らくそれは,諸説の接点となるべきところの欠如に起因しよう。一体何をもって小袖の「完成」ゃ「自律性」や「表着化」が言えるのか,或いは,そもそもそれらが果たして妥当性・有効性を備えているのか,といったことが提示されぬまま議論が進められている。今後,本研究を深化させつつ,小袖中心時代に関する考察に載せるために,こうした問題の解決にも取り組んで、ゆきたい。号,1999年),同「室町時代末期から桃山時代における武家少年の衣服J(r服飾美学』第30号,2000年),同「上杉神社所蔵「雪持柳模様胴服」の制作時期と着用者をめぐる一考察J(r美術史J第148冊,2000年)。人の二十歳観J(r月刊百科』第302~03号,1987~88年),保立道久「中世民衆のライフサイクルJ(r岩波講座日本通史』第7巻,岩波書庖,1993年)ほか。(3) ただし『伊勢備後守貞明覚悟記』はA+Bで一条とし,r女房筆法JはAを欠く。(4) 切畑健「振袖考J(r染色の美J第15号,1982年)服とも分類される2領は,背割を胴服とすべき特徴と考えるので胴服に入れた。地質や法量等のデータは神谷栄子氏が『美術研究』第216. 19 . 28・33・42~44・59号(1962・64~66・69年)に連載された調査報告に拠る。行の縫製の常式,及び,和裁史研究の成果からすると,論拠に疑問がある。羽生京子「和服構成における体型と縫製との関係(第l報)J U和洋女子大学紀要』第24集第2分冊,1983年)はじめ『和洋女子大学紀要』連載の羽生氏・仲村洋子氏・永野順子氏の実験研究ほか参照。( 1) 森理恵「雁金屋『慶長七年御染地之帳Jにみる衣服の性別J(r風俗史学』改題9(2) 結城陸郎編『日本子どもの歴史』第2巻(第一法規出版,1977年),舘鼻誠「中世(5) 裏が外されて判別できないものがあるため小袖と袷を一括して扱う。小袖とも胴(6) 森氏は注(1)r美術史J論文で「雪持柳模様胴服」が小さいとされた。しかし,現88

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