江戸時代に鑑定家が「直極め」という用語を用いていたことは,扉風の場合,鑑定書きを直接画面に施す必然性があったことを示唆している。また,このような用語が使われていたということ自体,いわゆる「紙中極め」が鑑定書の中でも特別なものと考えられていたということを示している。この「紙中極めjは,}弄風絵の鑑定における現実的な鑑定形式であったことも見逃せない。しかし,現実的な機能だけでは説明できない部分もある。ここでさらに紙中極めの特異性を考えるためには,具体的にどこにどういうふうに記されたかについて検討する必要がある。紙中極めの殆どは,通常落款が記される位置に配されているが,これは紙中極めが落款と同じ役割を果たしていることを意味している。それはまた,I後落款」というよりも,一種の「代理落款jとよべるようなものでもあった。紙中極めが現れる背景には,日本絵画における落款の意義の変化があると思うが,17世紀後半に入ると落款は障壁画以外の絵には頻繁にほどこされるようになる(注9)。従来,基本的に無款の絵画作品を制作してきた土佐派ですら,光則(1583-1638)の時代から作品に落款を記すようになり,さらに光起(1617-91)の時代になると,長く,重々しい落款を寄せるようになる。こうした落款の変化についてはさまざまな原因が考えられるが,そのひとつとしては,17世紀における,これまでになく活発になった絵画の売買によって,絵画に財産と身分証明としての価値が付されたということも重要である。つまり,その時代の美術市場は新興の大名層や富裕な商人を対象として展開したが,そこでは座敷飾や鑑賞画としての用途と同時に,財産価値や身分を示す価値が見出されていたと考えられる。これは新しく制作された絵にも古画にもあてはまることである。落款がそういう財産価値や身分証明を決定する一つの要素であるように,鑑定も同じ役割を果たしていたと言えるが,ここでは当時の骨董屋等仲介者の役割を暗示する。特に日本の古画がこの時期にようやく本格的に市場を形成しはじめただけではなく,1古画」や「古絵Jという概念そのものもこのころに成立したと並木誠士氏は述べている(注10)0 I古」という接頭語はこの時代から多く使われるようになり,1古法眼Jや「古土佐」といった用語も17世紀の鑑定書によく見られることから,こういった江戸初期のエリート社会における絵画需要のキーワードとしても考えられる。しかしながら,紙中極めという鑑定形式は鑑定の注文主の観点だけではなく,鑑定-97-
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