鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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ハリハV日召。(1935年)に翻刻され,安信の鑑定については錦織亮介「北九州大学所蔵狩野安信鑑定一家言記入園槍賓鑑Jr北九州大学文学部紀要J15, 1982年も参照。『住吉家鑑定控』は『美術研究J38・39・40(1935年)に翻刻されている。なお,山本英男「江月宗玩筆録の「画師的伝宗派図」について『美術史の断面』清文堂,1995年からも『墨跡之写Jについて多くの示唆を得た。(5) 探幽縮図の研究については次の論文や出版物を参照されたい。京都国立博物館編『探幽縮図(上・下)J同朋社出版,1980・1981年,r特別展狩野探幽縮図展目録J大倉集古館,1981年,r大倉集古館蔵探幽縮図釈文』大倉文化財団,1981年,河野元昭「探幽縮図一平福本を中心にJr古美術J60, 1981年,r特別展室町水墨画・近世絵画』展図録(茨城県立歴史館,1983年),文人画研究所編『探幽縮図J1986年,ベッティーナ・クライン「ベルリン東洋美術館蔵縮図帖『筆園侠遊JJ r国華J1091, 1986年,河野元昭「探幽縮図索引の作成Jr鹿島美術財団年報J5, 1988年,河野元昭「資料紹介『探幽縮図J(東京芸術大学資料館蔵)H美術史論叢J9, 1993年,伊藤大輔『探幽縮図J解説o東京大学コレクション(1)東アジアの形態世界J,1994年),山下善也「探幽縮図とくに風景スケッチに関してJ 『鹿島美術研究J13, 1996年,板倉聖哲「江戸時代初期狩野派における中国絵画受容一「探幽縮図Jを通して一Jr遠津と探幽会津藩御抱絵師加藤遠津の芸術』展図録,福島県立博物館,1998年。探幽の鑑定にかかわる興味深いエピソードは吉積久年「旧岩国藩主吉川家蔵「目利申分書状」をめぐって探幽関係を中心に-J rミュージアムJ409, 1985年参照。『狩野安信添状留帳』は『美術研究J42 (6) この表には載せていない作品に関しても,ご教示いただきたい。(7) ただし,扉風絵にも箱がまったくなかったということはもちろんない。たとえば,室町時代末期の武家故実書『産所之記』の資料には「びゃうぶはこjという言葉が見られる。横井清の『的と胞衣一中世人の生と死一』平凡社,1988年,53頁参(8) 立川美彦『京都学の古典「薙州府志JJ平凡社,1995年(9) 日本絵画における落款印章の歴史については,次の論文を参考にした。荻野三七彦『印章J(吉川弘文館,1966年),水野敬三郎・戸田禎祐・高階秀爾「芸術家の署名Jr日本美術全集10運慶と快慶鎌倉の建築・彫刻J,講談社,1991年,内藤正人「絵画の落款にみえる花押の使用についてJr出光美術館研究紀要J6, 2000

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