品J(r大正蔵』第9巻33頁中下)に基づいて造形されたものである。この品には過去る。下層は中央に結蜘肢坐仏(釈迦?),左右両側の下部に二人ずつ力士像が彫られる。左側の上部に仏伝図の初転法輪場面,右側の上部に維摩文殊の問答図が表される。以上の尊像や説話場面の配置を見ると,主な尊像(維摩文殊以外)は中軸線上に大きく彫られ,説話図像はその両側に配されている。この碑像に表された豊富な図像とその複雑な構成は,当時の北貌の辺地である天水で、創出されたものではなく,それまでの文化の中心であった平城(現在の山西省大同)郊外の雲岡石窟に,その源流が見出される。2,碑像の図像由来麦積山第10号碑像の図像は雲岡第38窟のものとよく対照でき,前者は後者からの継承関係が認められる。第38窟は510年代頃に雲岡西方崖に造営された小さな方形窟である(注2)C図3J。北壁(正壁)の中央に並坐の釈迦多宝仏が主尊として彫られる。東壁中央は上層高に交脚弥勅菩薩,下層寵に結蜘E夫坐仏,西壁の中央には侍坐仏が彫られている。東,北,西,三壁の中央尊像の両側,および1有壁の門の両側には数多くの本生,因縁,仏伝図が表されている。第38窟の北壁中央寵および東壁中央における上下層禽の図像の組合せは,まさに麦積山第10号碑像の中軸線上の図像に当る。雲岡第38窟と比べると,麦積山第10号碑像は誕生前後の仏伝場面および維摩文殊が加えられている。この碑像の画面は石窟図像の空間構成を平面化したものである。二中軸線上の尊像構成麦積山第10号碑像は中軸線上に結蜘扶坐仏,交脚弥勅菩薩および釈迦多宝仏が表され,そのうち下層中央の結蹴扶坐仏はその上の弥勤菩薩と釈迦多宝仏より大きく表され,この碑像の主尊と考えられる。それでは,中軸根上の諸尊像はどのように関連しているのだろうか。この問題を明らかにするためには,釈迦多宝仏の象徴的な意味を明らかにすることが極めて重要である。釈迦多宝仏は後秦の鳩摩羅什訳『妙法蓮華経j(全二十八品)では,第11の「見宝塔仏である多宝仏の舎利塔が,釈迦仏の説く法華経の真実を証明するために,地面から涌出して虚空に止まる。塔に多宝仏の全身舎利,すなわち多宝仏自身が現れ,多宝イムが台座の半分を釈迦仏に譲り,釈迦仏と多宝仏が共に塔内に結蜘扶坐すると記されて1 ,釈迦多宝仏の象徴的意義-2-
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