鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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(10) 並木誠士Ir隔箕記Jにみる絵画受容の在り方」岡佳子・岩間香編『寛永文化のネ(13) 現存する絵巻物の中で探幽が土佐光信と鑑定しているものには「神功皇后縁起年。ットワークj,思文閤出版,1998年。側榊原悟「一変狩野氏一江戸初期狩野派をめぐって一jr古美術Jl96, 1990年。(12) 安信は狩野宗家の家督でありながら,晩年まで自分の中橋家の権威を主張する必要があったらしい。松木寛『御用絵師狩野家の血と力Jl(r講談社選書メチエJ30,講談社,1994年,特に「安信の反撃jの章。松嶋雅人「狩野派における序列の問題一養朴常信の場合j(金沢美術工芸大学『芸術学学報Jl3, 1996年),安村敏信「画論の意図するものjr定本日本絵画論大成Jl4, r画道要訣・画道伝授口訣・容斎画意・暁斎画談(抄録)j,ペりかん社,1997年。絵j,I誉田宗廟縁起絵j,I小野雪見御幸絵j,I天狗草子」などがあり,土佐光茂と鑑定しているものには「地蔵堂草子j,I化物草子」などがある。同「室町時代の土佐派をめぐる言説ジェンダーの視点からの分析j r学習院大学文学部研究年報Jl43, 1996年(付記)筆者は1999年に東方学会で江戸時代の絵画鑑定について発表した。その折には多くの方からご教示をいただき,また,この論文を執筆するにあたって,山下善也氏,高岸輝氏からご教示をいただいた。末筆ながら感謝の意を表します。-101-

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