⑨ ポスター美術館設立計冨1898~1978年一一現代フランス社会におけるポスター観の変遷一一研究者:パリ第10大学美術史学科博士課程吉田紀子l.序産業消費型社会が形成された1880年代のフランスでは,機械複製される広告ポスターが,公衆の日常的な視覚経験を構成するー要素になった。1890年代にはパリを中心に,“アフィショマニ(ポスター狂)"と呼ばれるポスター愛好現象が起こった。ポスターは都市空間における新たなコミュニケーション手段として,装飾芸術革新運動を推進していた批評家や装飾芸術家によって支持され,独自の社会的役割と芸術的価値を得ることになった。しかし一方で,1898年に発表されたポスター美術館設立案は,1978年まで実現を待たねばならなかった。ポスター専用の公共美術館を開設することに対して,美学上および制度上,いかなる困難が生じたのだろうか。本研究ではまず,1898年にロジェ・マルクス(RogerMarx : 1859-1913年)が発表した論文「ポスター美術館jを分析する。次いで,20世紀初頭における壁面広告の法的規制,両大戦間期における広告業の発展を概観し,最後に,1978年にパリで,ポスター美術館が装飾芸術中央連合内に開館するまでの経緯を検証する。これにより,大衆消費社会の形成期にポスターの制作環境は高度に専門化する一方で,ポスターに新時代の美学を見出す“アフィショマニ"の受容姿勢が,フランス独自の伝統的なポスター観として定式化し,美術館の設立によって制度化する経過が見通されるであろう。2.ロジェ・マルクス著,Iポスター美術館J(1898年)石版画技法が飛躍的に改良され,ジュール・シェレ(Jul巴sCheret : 1836-1932年)やトゥルーズ・ロートレック(Henride Toulouse-Lautrec : 1864-1901年)が登場した19世紀後半に,フランスのポスターは質量共に最初の興隆期を迎えた。ポスターはやがて収集の対象になり,展覧会が聞かれ,特定の画廊で売買されるまでになった。この“アフィショマニ"に理論的基盤を与えたロジェ・マルクスは,美術批評家であると同時に,フランス第三共和政下に地方美術館総監などの要職を務めた美術行政官でもあった。彼は1889年に最初のポスター批評を,シェレ展のカタログ序文として執筆する(注1 )。その後1896年から1900年まで,月刊のポスター複製集『ポスターの巨匠たちJの103
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