(訂tpublic) "のlっと見なしながら,大衆に向けた芸術教育へと目を転じて行く。彼が年次合本に序文を寄せる(注2)0 1898年11月に執筆された論文「ポスター美術館jは『版画とポスターJ誌上で発表された後(注3),翌1899年の『ポスターの巨匠たち』第4巻の序文中に再掲載された。この論文は広告ポスターを,美術館という,I使用価値というものが永遠に追放された」評価・展示・保存システム(注4)の中に組み入れることを訴えた最初の提案である。ロジェ・マルクスはここで,有用性を軽んじる恋意的な序列が悪しき根拠となって否定されてきたポスターの芸術的価値を,果敢に擁護している。彼は確固とした調子で,Iポスター美術館を将来の装飾美術館の一部門か,国立図書館の新館にしなさい(注5)Jと言い切る。ロジェ・マルクスによれば,ポスターは「我々の時代の芸術と生活について証言する記録集の構成要素に加わる(注6)Jので,I版画室」の一角を埋める資格をもっOポスター美術館を開館させることは,今や国家に課せられた急務であると彼は考える。また彼はポスターとタブロー絵画を比較して,Iポスターは制作技法ゆえに版画として位置付けられるが,絵画に勝るとも劣らない豊かな芸術的効果を示しうる。美術品の質は表現の手段とは別に存在するものなのだ(注7)Jと述べる。こうしたロジェ・マルクスのポスター観は,あらゆる造形表現分野を平等に扱おうとする信念に支えられているが,これはフランスの装飾』産業芸術の刷新を目指した彼の業績の随所に,一貫して認められる姿勢である(注8)。しかしながら,19世紀最末期のこの頃,ロジェ・マルクスはポスターを“公共芸術“公共芸術"の語を用いる時,そこには公の空間を飾る造形表現と,大衆が自由に接近でき,鑑賞の機会を平等に享受できる造形表現というこ重の意味が込められている。彼はポスターに,Iメダルや硬貨と同様に,気付かぬうちに作用する美意識教育の促進者(注9)Jとしての可能性を見出しているが,それはポスターが街中に貼り出され,大衆が何ら遮られることなく間近でじっくりと眺められる媒体だ、ったからである。学校教育とは別の場で,広範な受容者に対して学習の機会を提供できるポスターの特性を,ロジェ・マルクスはその芸術的価値や記録機能よりも,はるかに重要なものと認識するようになっていた。ポスター美術館の設立提案は,装飾ー産業芸術品を通して芸術を大衆層に浸透させ,彼らの趣味を向上させるという,ロジ、エ・マルクスの新たな関心を反映していると言えよう。美術館という社会教育施設が,多くの観衆に聞かれ,しかし街頭よりも確実-104-
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