業構造や商習慣が指摘されると同時に,19世紀末の“アフイショマニ"から続く,ポスターに芸術的価値を認める受容姿勢が大きな影響を及ぼしていると考えられる。ポスターの“美術"としての側面が,伝統的に“金儲けの手先"と不信を集めてきた広告全体のイメージを,浄化する役割を果たしてきたのである(注18)01978年にフランスで世界に先駆けてポスター美術館が誕生する背景には,こうしたポスター観の成熟カ宝あった。1882年に創設された装飾芸術中央連合の図書館には,“アフィショマニ"の時代に愛好家によって収集され,その後寄贈されたポスター・コレクションが眠っていた。例えば1901年のジョルジュ・ポシェ(GeorgesPochets), 1919年のモーリス・ブケ(Maurice Bucquet: ? -1921年),1944年のロジェ・ブラウン(RogerBraun : 1862-1941 年)による寄贈が主要なコレクションとして挙げられる。1960年代から始まる本格的な作品調査,1960年代後半からの9つのポスター展覧会の企画を経て,これらのコレクションが独立したポスター美術館を開設するのにふさわしい量(約50000点)と質,さらには各国のポスターを網羅する国際的な性格を有していることが明らかにされていった(注19)。装飾芸術中央連合会長ロベール・ボルダツ(RobertBordaz : 1908-1996年),同図書館主任管理員ジ、ユヌヴイエヴ・ガエタン=ピコン(GeneviとveGa己tan-Picon: 1916-1996 年),装飾美術館主任学芸員フランソワ・マテイ(FrancoisMath巴y:1917-1993年)の指揮により,1978年2月13日,パリ10区にポスター美術館が開館する。フランス文化省,パリ市,フランス戸外広告労働者組合からの後援に支えられての開館であった。そもそも装飾芸術中央連合自体が私立機関であるものの,政府から大幅な予算補助を受けており,この意味においてポスター美術館は公立としての性格が強い施設と言えよう(注20)。開館記念展『フランス・ポスターの3世紀』では,フランスでは19世紀後半よりポスターと絵画がつねに密接な関係にあり,共通の様式一一19世紀末には平坦な色面の並置や輪郭線の強調,20世紀初頭にはキュピスムや構成主義の厳格な構図ーーが頻繁に用いられてきたことが確認されている。また一方で、,ポスターと絵画では究極の目的が全く異なることも強調されている(注21)。すなわち,商業ポスターであれ政治ポスターであれ,見る者の視糠を捉えることがポスターの第Iの使命であるが,その表現は挑発的ではあっても,決してひんしゅくを買ったり嫌悪感を抱かせてはならない。-107-
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