鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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いる。また,経典に記述される多宝塔は十方国土において法華経を説く場所に現れ,この経典の真実を証明することから,単に「見宝塔品」の内容を代表したものとは考えられず,法華経自体のシンボル的な表現として理解しなければならない。さらに,同じく鳩摩羅什訳『思惟略要法j(W大正蔵』第15巻300頁中)には,正しく法華経を念ずれば,釈迦仏と多宝仏が共に七宝塔に坐すことを念ずるべきという記述がある。つまり法華経は釈迦多宝仏塔と等しいということであり,この禅観経典では釈迦多宝仏塔を法華経のシンボルとしていることがわかる。現存作品の大部分は多宝塔の代わりに単に釈迦多宝仏で表され,釈迦多宝仏は初期法華経美術の根本的な図像であると考えられる。2,中軸線上における図像の相互関連麦積山第10号碑像の中軸根上に表された,結蜘肢坐仏+弥勤菩薩+釈迦多宝仏のセットは,この碑像の主題を表していると考えられる。これに対して,雲岡第38窟〔図禽の交脚弥動菩薩と下層寵の結蜘扶坐仏,および西壁中央禽の侍坐仏と同壁上縁の千仏は,この窟の図像を構成する主たるものである。第38窟では意図的に交脚菩薩を東壁の上方に,{'奇坐仏を相対する西壁の下方に配しており,それは兜率天宮における弥勤菩薩と弥勤の下生成仏とを表した一対表現であると考えられる(注3)。東壁下方中央の結蜘扶坐仏は法華経教主の釈迦仏と考える。また西壁における侍坐仏の上方にー列の千仏が注目される。つまり,第38窟は法華経のシンボルである釈迦多宝仏+弥勤+千仏+法華経教主の釈迦仏という組合せとなっている(注4)。雲間第38窟に見られるこのような図像構成は『妙法蓮華経Jの終章,すなわち巻7の第二十八品の「普賢菩薩勧護品J(W大正蔵J第9巻61頁下)には,法華経を信仰する人は亡くなった後,千仏が手を伸ばしてこの人を恐ろしい目に遭わせなかったり,悪趣に落させなかったりして,その人は弥動菩薩の兜率天浄土に往生することが記されている。つまり,この品では法華経を保ち続けるために,伝統的な児率天浄土を取り入れ,それを法華経信者の往生地としている。この品を通して法華経の代表であるキ尺迦多宝仏,千仏および弥勤菩薩の三者を繋いでいる。また,法華経自身が釈迦仏によって説かれたもので,釈迦仏も図像の中に組み込まれている。麦積山第10号碑像の中軸線上の図像構成は同じ主題を表したに違いないが,千仏の表現が略された。これ以外,I普賢菩薩勧護品jに述べられていない弥勤仏も雲岡第38窟に現れるが,それは3 Jでは,北壁中央禽における当窟の主尊である釈迦多宝仏,東壁中央における上層-3-

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