鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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~112~ 制作された作品であると考えられ,扉風講時代の主要作品として位置付けられている。このように考えると,扉風講に際して制作されたと考えられる扉風作品は,まず統本であることが条件となってくるがその主要な作品を現存が確認できるものに限って示すと〔表1Jになる。この表を見ると,これらの扉風作品にほぼ共通するのは,統本に描かれているという点だけでなく,中国人物故事など中国的な画題が描かれていること,また山水図の場合はいわゆる明清絵画の様式にならった様式で描かれている点である。〈飲中八仙図扉風>(春夜桃李園図扉風>(草鹿三顧図・粛何追韓信図扉風〉には年記がないが,明和3年に描かれた〈茶蓮酒宴図扉風〉と同様中国文人の雅会や故事を主題にしていることから,同じような受容者に向けて制作されたと考えられ,にじみの少ない布地の性質を活かして濃彩を施し,モチーフを鍛密に描き込んでいく方法も共通していることから,ほほ同年代の作品として見ることができる。このなかでは東京国立博物館蔵の〈蘭亭由水図扉風〉のみが紙本に描かれた作品であるが,これもモチーフや明和3年の年記から考えて,)葬風講時代の作品と考えるべきものである。以下,藤原氏旧蔵の〈草麗三顧図・粛何追韓信図扉風〉を取り上げ,蕪村がこの時期扉風という大画面に展開した様式について検討を行う。〈草麗三顧図・粛何追韓信図扉風〉は右隻「草慮三顧図jに劉備ら三人が隠棲した諸葛孔明を三度訪れ萄の要職に迎えたという故事を,左隻「薫何追韓信図jに国を去ろうとする請何を韓信が引きとめ韓信の骨折りにより斎何が再び重用されるようになったという漢時代の故事を描いている〔図1J。両隻ともに積雪や水の流れが胡粉によって表され,人物や馬は水色や白,薄緑,黄色で彩色され〔図2J,また樹木の葉は一つ一つ同じ形状のものを繰り返し描いた上に濃緑や茶が彩色されるなど(図3J,個々のモチーフが細かく描き込まれ画面が賑やかに彩られている。本作品を考察する上で,ひとつの手がかりになると思われるのが,右隻〈草麗三顧図扉風>c図4Jと同線の故事に取材した作品〈風雪三顧図>c図5Jである。この〈風雪三顧図〉は『水口屋伴庄兵衛入札目録.1(大正11年)に掲載される掛幅であるが,注目されるのは「法呉郡銭貢筆謝長庚」という款記である。「銭貢」という画家の名は蕪村の他の作品の款記にも見られ,なかでも讃岐滞在時(明和3-5年,1766-1768) に描かれた〈山水図〉はよく知られる。銭貢から蕪村が受けた影響については,既に佐藤康弘氏がこの〈山水図〉を中心に銭貢作品との比較に基づいた考察を行っており

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