鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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qJ (注2),佐藤氏も指摘する通り,蕪村が銭貢画から学んだのは土披の表現や上へ奥へと伸びる画面構成にあると思われる。現存の銭貢面と比較してみると,入札目録の〈風雪三顧図〉に見られる縦長の画面に濃彩の樹木を左右交互に配し目線を奥へと誘う構成,奥行きと高さをさらに感じさせる背後の白く塗り残された山の表現などに銭貢画に共通する要素がある。〈草雇三顧図厚手風〉においては,背後の塗り残された山々や竹林に固まれた茅屋,人物などのモチーフが目録の〈風雪三顧図〉に共通しており,これらが銭貢画から転用された可能性も考えられる。しかし,山や岩を陰影と破とで重層的に表現する方法など明らかに銭貢画に共通する表現はむしろ左隻〈粛何追韓信図扉風〉に顕著であり,目録の〈風雪三顧図〉の樹木の表現や白馬のモチーフなども,左隻に用いられている。蕪村は本作品において右隻にも左隻にも銭貢画の学習の成果を活かしているようである。一方,構図に関して言えば,目録の〈風雪三顧図〉では縦長の空聞が人物や樹木,山の配置によりうまく処理されているのに対し,扉風では右画面の上部に描かれる遠景表現やその空間処理にぎこちなさが感じられ,蕪村が横長の画面構成に苦心しているように思われる。重心を左に置き三人の人物が画面手前の道を左に向かうよう配するなど,横への広がりが重視されているため,例えば,目録の〈風雪三顧図〉で諸葛孔明の茅屋の背後に描かれる白い山は〈草塵三顧図扉風〉においては右寄りに配され,背後というよりも横に並列された形になり,回線を奥へと誘う働きは少なくなっている。目録の〈風雪三顧図〉が銭貢画の縦長の構成を倣して制作され,その後〈草慮三顧図扉風〉が制作されたとするならば,各モチーフを横に並置し,扉風の横長の画面用に新たに構成を行ったために,前述したような不自然な空間処理が生じたと考えることができるであろう。このように見てくると,本扉風は,蕪村が銭貢画の学習を経て,その画面構成を参考にしながら岩の表現や人物など個々のモチーフを転用し,新たに扉風という大画面へと挑戦した作品ととらえることができる。同じく藤原氏旧蔵の〈野馬図扉風〉であるが,蕪村は掛幅の倣南頭〈牧馬図〉をこの扉風に先駆けて描いており,前述の〈草康三顧図扉風〉に銭貢画の学習が見られるように,<野馬図扉風〉においても新しい中国画の様式を学習した成果を,展開させている。このような試行錯誤の場を与えてくれたのが「扉風講」であり,蕪村の扉風制作は講の参加者により支援されていたのである。

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